眠りの町の住人たち    天暦一〇四五年 十月

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眠りの町の住人たち    天暦一〇四五年 十月

 さらり、長い黒髪をアルバは白い手で取った。毛先が少し傷んでいる。 「どれくらいにしましょうか」  尋ねる先には、一人の青年。どうしましょうか、とこちらへ彼は尋ね返しながら、その視線は彼とアルバの間に座り、眠る女性に注がれている。  深く腰掛ければ身体が半分ほど埋もれてしまうような、木組みの椅子に彼女は腰掛け眠っていた。自身で体勢を維持せずとも、転倒を防ぐことができる作り。この国ではよく見られるものだった。 「傷んだところを切って、少し量を梳きましょうか」 「お願いします」  黒いカバンを開けば、アルバの仕事道具が入っている。幾種類ものハサミの中から、細身のものを手にした。  女性の髪やファッションのことは、分からないんです。そう彼は前置いた上で。 「けれど、目が覚めた時に髪が短くなっていたら、きっと驚くと思うから」  なるべく、変えないであげてください。そう願う青年は、どこか傷んだ笑顔をしていた。きっと、その言葉の矛盾に気づいているのだろうと思った。  目測をつけてハサミを縦にし、さくりさくりと切っていく。少し癖のある黒髪。けれど、おそらく手入れもよくしている人だったのだと分かる。手入れが出来なくなったからこそ傷んだ部分はあったが、それでもなお、綺麗な髪だった。  梳きバサミは、上を少し重たくなるよう調節して入れた。これからの雨の季節、髪が湿気で膨らむのを防ぐため。  はじめこそ慣れずに苦労したものだったが、今では慣れたものだ。 *****  ありがとうございましたと頭を下げられ、少しの謝礼をもらい、彼はそのまま次の部屋へと向かう。のっぺりとした白い床を歩み、光を多く取り込めるよう作られた螺旋階段を登って一階上へ。手元のメモを見ながら、同じ形をした扉のプレートをひとつひとつ確認していく。  目的の部屋は最奥の角部屋だった。チャイムがないこの部屋へは軽くノックをするのが通例。いつものようにそうして訪ねれば、ぱたぱたと中から音がして、がちゃり。鍵と扉が開かれる。 「お嬢さんもいらしてたのですね」  扉を開いたのは彼女の小さな孫娘。屈託のない笑みで彼を迎えた。彼女の後方、部屋の奥には母親らしき女性の姿がある。そしてその傍らには白銀の髪の女性が眠っていた。歳の頃は、立って自分を迎えた彼女と同じくらい。何も言われなければ、姉妹か何かに見える。とても、この二人が親子であるとは思えない。 「おばあさまの「かみやさん」ね!」 「……かみやさん」  きれいきれいにしてあげてね、と幼い孫娘は笑顔を見せる。近くの机へ仕事道具のカバンをおいて、彼が取り出したのは髪染め液。毛先を少し切りそろえて、まだらになった生え際を染め始める。  はじめのうちは興味深そうにこちらの仕事を眺めていた孫娘だったが、そのうち飽いたのか病室の外へ出ていってしまった。変わらず、アルバは仕事を続ける。 「……あの」  そう、孫娘の母親はアルバへ声をかけた。この声のかけ方は、あまりよろしいものでもなかった。その勘は、だいたい当たる。 「なんでしょう」 「紹介していただけると、聞いています」  誰を、とは言わなかった。言わずとも、わかっている話だった。  もう、十分だと思うのです。そう彼女は言った。悲嘆と諦めに長年浸したような声だった。 「いいのですか?」  アルバは、孫娘の出ていった扉を見やった。孫娘の母親が話を切り出すタイミングを、見計らっていたのは間違いない。 *****  仕事がすべて終わる頃には、日も傾き宵闇がひたひたと歩み寄ってくる時分だった。  アルバは帰路につく。帰り道、夕食の惣菜を少し買い込んだ。木の実と薄切り肉、葉物野菜の炒め物。これは特製のソースが絶品だった。この店が異国から仕入れて調理するパンの代わりの「コメ」とひどく相性がいい。  とろけるほどに煮込んだ根菜と豆のスープ。そろそろ冷えてくるこの季節にはちょうどいい。  アルバも同居人も全く自炊ができない人間なので、よくこの惣菜屋には世話になるのだが、メニューが日替わりなので飽きもせずにいられてありがたかった。  保温材代わりの魔石を多めに入れてもらい――常連だからと料理自体の量もいささかサービスされた――アルバは家へと急ぐ。やはり温かいものは温かいうちのほうがおいしい。  街中から去る道を往く。民家や商店は少しずつ減っていく。  開けた視界の先には、一面の花畑。昇り始めた月の明かりを受け、白い花弁が淡く輝いていた。この町の特産品である。  けれど、この町の人間はこの花畑に極力近づかない。そんな彼らがここにつけた名前は「徒花畑」 けれど、焼き払えもしない理由がある。    花畑を抜ければ家はすぐそこだ。家へと戻れば出かけ支度をしている青年がひとり。長い髪をひとつにまとめ、纏う服は黒く長い祭服。最後に祈祷用のアミュレットを首からかけたところへ、こちらへと気づいたのか彼はこちらへ振り返った。 「ただいま。レオノーラ」 ―― おかえり ――  指が宙をなぞれば、そう光が言葉を綴る。  声を発さぬ同居人。それがレオノーラだった。互いの経済状況と仕事の利便性によって一緒に暮らしている。  この家は町中まで出るのに小一時間ほどかかり、挙句に「徒花畑」を通らねばたどり着けない。けれどその立地のお陰でかなりリーズナブル。しかも二人で折半となれば、家事なども半分で済み家賃も半額浮く。  食卓の準備を整え、向かい合って座り食べ始める。彼は手を出す前に一度祈りを捧げていた。 「今日も仕事の予定が入っていたのだっけ?」 ―― あぁ。今日の仕事はきみが持ってきたものだよ ―― 「――――イリスさんか」  この間、綺麗に髪を整えたな、と思い出す。手触りの良い髪だった。アルバが彼女を担当するようになる前からずっとショートボブにしていたというから、家族の意向もあってその通りにしていた。そして、その時に頼まれたのだった。今日と同じように。 「僕はきみの営業のようだ」 ―― まったくだね ――  そう笑い合うような間柄。アルバが整え、レオノーラが事を為す。ただそれだけの、しっかりと噛み合ってしまった共同生活。  それがはたして正しいことなのかを、彼らは考えない。考える必要もないからだ。 ―― それじゃあ、行ってくる ―― 「遅くなるのかい?」 ―― 今日はひとりだから、そこまででも ――  それなら待っているとしようか、とアルバはテーブルに酒瓶を置いた。 *****  アルバはレオノーラが来るよりも前から変わらず、依頼を受ければ眠り病の人々の髪を切っている。そして眠り人のその世話役たる親族が彼らの寿命を定め、手に余るようになったとき、レオノーラへと依頼をする。彼らを神のみもとへ送ってくれと。  最期はきれいな姿で迎えさせてやりたいという縁者が多いため、アルバが呼ばれたそのタイミングでレオノーラへの仲介を頼まれることは多かった。町の方へもその旨の書類を提出すれば済むような仕組みが構築された。  レオノーラは家を出た。時折流れる雲が月を隠す。薄暗がりの、涼しい宵だった。  やってきたのは、今日の仕事場である真白い病棟。本来ならば一般の人間が入れぬこの時間であっても、レオノーラの制服と首から下がるアミュレットがパスの代わりとなる。看護師達の視線をやりすごして、そのまま目的の部屋へ。  その部屋には、眠るボブカットの女性と、その親族の者たち。  眠る彼女へ、レオノーラは祈る。その祝詞は彼の足元へ光の陣を描く。周囲の親族はその光に決して触れることのないように、そっと奥へと下がっていた。  その光に触れたら最期、己が生命を刈り取られることを知っている。  レオノーラはこの町にほとんど定住するような形になっていた。  祈りを捧げ、神を降ろし、奇跡を代行する神職。それがレオノーラの生業(なりわい)だった。何もなければ、『声』を聞いてあてなく放浪するだけの生涯かと思っていたのだが。  命を刈り取る祈りの歌。なくてはならぬ役割の神ではあれど、生きゆく人々からはどうにも忌み嫌われる役割の神であった。レオノーラがその身の居場所をなくし、故郷を出たのはそれが理由だった。  けれど、その力はこの町ではむしろ歓迎された。  一節祈り終え、足元の魔法陣が消える頃には、眠る彼女の呼吸は止まり、安らかな顔で旅立っていた。レオノーラは、彼女の目元からこぼれ落ちた雫をそっと拭い、残された遺族へただ一度礼をしてから、その病棟を後にする。
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