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午後9時
従兄弟の作ったナポリタンは、下町の古い喫茶店で出てきそうな、ありきたりでこなれた味がした。これも聡美さんの好みなのだろうか。
満腹になって、また読書に戻る。既に読破しているであろう漫画を黙々と読んで今日というくだらない日を一緒に消化してくれる従兄弟には、感謝しか無い。ただナポリタンは作りすぎたので夕食もそれで済ませた。
「ねえ、あれ、まだやってるの?」
洗い物を終えて戻ってきた従兄弟に、部屋の隅で無造作に積まれたプレゼントの小山を指して問われる。気になっているのだろうとは、この部屋に来た時からチラチラとそちらを見ていたから気付いていたけれど、語ることも無いのでこちらから話題に出すこともなかった。
訊かれてしまったので観念して漫画から顔を上げる。案外近い距離にあった目が不安そうに覗き込んでいたから、建前じゃなく本気で心配してくれているのだとわかった。
「うん」
短い返事。悪戯が見つかった子供の気分。
どうしようもない癖だとわかっているけれど、私は、知り合った男に必ず嘘をつく。来月が誕生日だと言って、気のある素振りを見せ続ければ、一月後にはプレゼントをせしめることができた。後は、適当なきっかけでフェードアウトするだけ。男女が出会って、親しくなる前に駄目になるなんて、よくあること。
「リボンも解いてないじゃん。刺されても知らないからね」
「刺されないよ。人生を棒に振るほどの価値、無いでしょ」
費やした時間にもお金にも、私にも。実際、下心のある後ろめたさからか、プライドからか、男も追い縋ったりしない。表か裏かで恨み言を吐かれるだけだが、それは特段、私を傷つけない。
「そうだ手伝ってよ。あれ、開けなきゃ質屋に持って行けない」
「全部?」
「一つは確保したから。あっちのは全部要らない」
要らない、という単純な言葉の持つ強さに、言っておいて自分が傷つく。
欲しがって、ねだったくせに、手に入れた途端に十把一絡げで、「要らない」と切り捨てるなんて。そんなの非道い。特別な日のためのよそゆきのリボンをかけられたまま部屋の隅に放置されているプレゼントが不憫で、泣きたくなる。私を悲しくさせるのは、いつだってこういう健気で幼気なものだ。
めちゃくちゃな気持ちで部屋の隅を睨む私を、どうしようもない従兄弟が、子供を寝かしつける時みたいに背中をぽんぽんと優しく叩いて宥める。
「罪の無いイトコちゃん、痛そうで辛そうで可哀想。罪の無いプレゼントも可哀想。鴨られた男は、えーと、うーんと、ほんのちょっとだけ可哀想、だけど、まぁそれはいいや」
私が思っていても口にしないことを、このどうしようもない従兄弟は言ってしまうから、私は笑うしかなくなる。世間一般で言うところの一番の被害者があんまりな扱いで、きっと、マトモな人が聞いたら憤慨するのだろうけれど、私たちの感覚は、きっとそれほど狂っていない。
「ところで中身は何?」
「デジカメ」
「身に着けるものじゃないんだね。賢い。悪いことするくせに誠実なんだから。イトコちゃんにはこういうこと自体、似合わないよ。やめなよ」
賢いってなんだろう。誠実ってなんだろう。そんなんじゃない。私は、ただ、罪悪感と折り合いをつけるのが下手なだけだ。
「そうだね。あれ、売ったお金をお母さんに渡したらお終い。わからないけど。少なくとも、今回は」
曖昧に答えると、従兄弟が不服そうに腕組みして嘆息し、ぷりぷりと怒り出した。
「叔母ちゃん、おかしいよ。なんで娘の誕生日を無視するかな。なのに、三日後の自分の誕生日には忘れず祝い金を要求してくるって、なんなのさ! もうやめなよ。待つのなんか」
「……昔、ちっちゃい頃に一度だけ、祝ってもらったことがあるの。だから、油断ならないんだ」
ケーキがあって、よそゆきの顔をした私がろうそくの火を吹き消して、家族皆が笑っていて、十全の幸せがある。その瞬間瞬間に、欠けるところの無い温かい記憶。それは思い出すたび胸の奥を甘く蕩かすから、私は逃げもせず自ら絡め取られに行ってしまいたくなる。それは、聡美さんがくれた高級なチョコレートみたいに、背伸びしないと手が届かない、無理に手にしても日常にはなってくれない、私には永遠に不似合いな物なのに。
苦いような思いを噛み締めてぼんやりする私を従兄弟がぎゅうと抱きしめて、諦めたように優しい溜め息をついた。
「まったく、非道い親のもとに生まれちゃったもんだね。最低。害悪」
育ててもらった恩もあるからと罪悪感の問題で怒れない私に代わって、誰かが怒ってくれるのは、救われる。きっと、この従兄弟はそんなこと全部分かっていて、わざと怒ってくれている。なのに、それでも切り捨てられない私は、どうしようもないことを言いたくなる。
「でもさ、ほら、この漫画だって、以前は主人公を毛嫌いしてあんなにいがみ合っていた敵が、特別改心したり和解した様子もないのに、いつの間にか心が解れていて、通じ合ってるじゃない?」
「いつの間にかじゃないよ。お互い本気で相手と向き合って、全力で殴り合ったからでしょ」
淀みなく言い切られて、返す言葉も無い。
そっぽ向いた相手とは、殴り合えないし、理解もできない。時間だって何も解決してくれない。ただ痛みを埋没させるだけ。
「でも、相手はちゃんと選んでよ。刺されたら俺が悲しいから、向き合う必要の無い相手からは、さっさと逃げ切ってよね」
うん、と一つ頷く。演技じゃなく甘えるのは苦手だけれど、さっきからずっと抱きしめてくれている背中に腕を回して、肩が震えないように気をつけながら、こっそり、ほんの少しだけ泣いた。
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