翌午前0時

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翌午前0時

「おめでとう! 無事、叔母さんからの連絡が無いまま誕生日が終わりました!」  夜中に近所迷惑だと言うのに手を叩いて大袈裟にはしゃいでくれるから、少し焦る。 「ありがとう」  安堵の溜め息混じりの謝辞。毎年この時は肩の荷が下りた気分だけれど、今年はもう一つ。 「すっきりした? 今年こそ」 「うん。憑き物がおちた気分。やっと捨てられそう」 「愛情を期待するのを?」 「ううん。親を」  親を捨てる。勢いで言葉にしてみたけれど、それだけで、罪悪感と忌避感とで心臓が破裂しそうになる。「ウソウソ、待って、今の無し」と言ってしまいたい負けそうな私を、「わぁ、直接的!」とケラケラ笑う従兄弟の軽さが蹴散らしてくれた。はじけて空気にとける、炭酸水の泡みたい。 「シャンパンで乾杯したい気分」 「誕生日のお祝い?」 「主人公がフェザー級王座獲得したお祝い。それから、チョコレートが美味しかったお祝い。そうだ、お礼を言わなきゃ。今日なら聡美さんにだって会えそう」 「いつも、怖がって会ってくれないもんね」  そうだ。私は聡美さんに会うのを避けていた。だって、彼女の持っているものといったら、銀座のチョコレートで、下町のナポリタンで、ボクシングの漫画で、ヒモ男だ。怖くないわけがない。 「でも残念、聡美さん、禁酒中だよ」 「え、なんで? お酒飲む姿が格好良いって、さんざん自慢してたのに」 「赤ちゃんできたから」  従兄弟の言葉に、息か固唾か生唾か、わけのわからない存在感のある物を飲み込んだ。  赤ちゃん? 聡美さんはこの従兄弟を飼っていて、それは世間的にはお付き合いしてるって状況で、聡美さんのお腹に赤ちゃんがいるのなら、たぶん、相手はこの、まともに働いてもいない男で。 「結婚するの?」 「うん」  間の抜けた顔で間の抜けた質問をしてしまったけれど、従兄弟は聖職者みたいに厳かな微笑みで肯定した。 「失敗、したの?」 「するわけないじゃん。聡美さんだよ?」  従兄弟はケラケラと笑って流してくれたから、その思い遣りの分、酷く失礼なことを口走った自分が嫌になった。取り繕おうとしたけれど何も出てこなくて、思ったことを口にするしか無いのだと覚悟を決める。 「あんたが子供作るなんて、意外」 「うん、俺のじゃないよ。作るわけないじゃん」  何を言っているのかさっぱりわからない。肩透かしを食って混乱しっぱなしの頭を、従兄弟がぐちゃぐちゃに撫でた。 「俺の子供なんて、可哀想で見てらんないでしょ。だから、くれたんだよ。子供好きな俺をお父さんにしてくれる、聡美さんの赤ちゃん」  いいでしょ? と、いつも通りの子犬の笑顔で、褒めて褒めてと尻尾を振る。  母のお姉さんがこの従兄弟に与えたものを、私はわからない。わからないけれど、この、自己肯定感ゼロの子犬に、わけなんかない涙が込み上げてきて、私にしてくれたみたいに私も従兄弟を抱きしめた。 「うん。善い。凄い、聡美さん」 「うん。そうでしょ。女神でしょ?」 「うん。女神様だね」 「うん」  抱き合ったまま、二人してうんうん頷いて、笑って、泣いて。それから、スマホを家に置きっぱなしにして一緒にコンビニまで歩いた。  安い発泡酒を買い、小雪の舞う公園で祝杯を上げる。  おめでとう。  おめでとう。  おめでとう。  杯を仰げば、世界にたくさんの祝福を降らして、その向こうに真っ黒い空がある。吸い込まれたくなる私を、湿った白い息が間を割って引き戻してくれた。  ありがとうと、誰にともなく呟く。ありがとう。おめでとう。ありがとう。そうだ、私はただ、お母さんに「おめでとう」と言われたかったのだ。言われなくて、傷ついて、代替え品で目隠ししていた。  受け入れてしまえば、埋もれたまま膿んで腐りかけていた傷は、開いて新鮮な血を流し始める。  共に戦い許し合ってきた同志は、新しい戦場へ向かう。幸福に満ちた不似合いな場所で、その向こうにある真っ黒いものに捕まらないように、きっと、新鮮な命は引き止めてくれるだろう。 「おめでとう」  感傷的になって隣に呟けば、従兄弟が寒さに震えて蹲っていた。「早く言ってよ」と呆れて叱ると、「だって、イトコちゃんが笑ってたから」と、子犬の顔で微笑まれたから、コンビニに戻ってあったかい肉まん買ってあげる、と手を引いて走り出した。
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