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バケツをひっくり返したような雨の中、弔問客が次々にやってくる。「お父さん、この前まで元気だったのにね」「娘さん、お母さんを支えてあげてね」「女性二人で困ることがあれば何でも相談してね」と彼らは次々に母と娘に声をかける。声をかけられた女性たちは、「ありがとうございます」と蚊の鳴くような声でお礼を言うが、雨の音でかき消される。
ありがとう、死んでくれて。
娘は心の中で感謝した。ずっと父が嫌いだった。外面ばかりよくて内弁慶。特に忘れないのは、結婚を考えている彼を家に連れてきて紹介したとき。彼の前では「今どきの子にしてはいい男だね」「娘をよろしく」なんて調子のいいことを言ってたくせに、彼が帰った後に「あれはダメだな」「お前も見る目がないな」「結婚なんて絶対ダメだぞ」「もっといい男をお父さんが紹介してやるから別れろ」なんて数時間説教。おかげでその後、彼とはギクシャクしてうまくいかなくなった。すごく大好きな彼だったからずっと引きずっていたけれど、父が死んでくれたことで、今日から次の一歩を踏み出せそうな予感。お父さんもよかったね、苦しまずにあっさりぽっくり逝けて。おめでとう。来世はあなたの娘には絶対生まれないから。
本当に亡くなってくれてよかったわ。
母は心の中で安堵した。ずっと別れたかった。お見合いでそのまま結婚したけれど、もし時が戻せるのならお見合いの時に戻って、あの時の私に言いたい。「その人は止めなさい」と。私とあなたは夫婦ではなくて、部下と上司のようだったわ。私はひたすらあなたの指示に従って家事・育児をこなすだけ。ずっと耐えて来たけれど娘も大きくなってきたし、そろそろ退職してもいいわよね。まさかあなたが引き出しの離婚届を見付けて、「何考えてるんだ!」「俺の力でここまでやってきたくせに裏切るのか!」なんて激怒してそのまま倒れて亡くなるなんてね。離婚の手間も省けたし、保険金や不動産はあなたからの退職金だと思っておきますね。あなたもよかったわね、夫婦のまま亡くなることができて世間体を保てたもの。おめでとう。一緒の墓には入りませんから、これでお別れね。
雨音はだんだんと弱くなってきた。ふと、母と娘は目が合った。お互いの目には同じ思いが宿っていた。「おめでとう」と囁き合った。雨はもうすぐ止むだろう。
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