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 いつものように講義が終わるとすぐに大学から千歳くんの店に直行した。お隣りとはいえ家に寄る僅かな時間も惜しいのだ。  今の状況に納得してるわけでもつらくないわけでもないけど、千歳くんがお菓子を作る姿を見るのは好きだった。本当に楽しそうに作ってるんだ。そんな千歳くんを見られて幸せじゃないはずがない。  そりゃあお菓子ばかりじゃなくて少しは俺の方も見てよって思うけど、手を伸ばせば届く距離に千歳くんはいるのだ。  俺は少なくとも彼女たちよりは恵まれている。傍にいる事はできるのだ。たとえ長年放置されたとしても俺は今千歳くんの傍にいる。誰よりも近くに。  今はそれだけで満足しなくては。  店のドアを開けるとなにやら深刻そうな、誰かと通話する千歳くんの声が聞こえてきた。 「――いや、だから……それは……っ。だけど……。――わかった……。待ってる、から」  すぐに俺に気づいて千歳くんはバツの悪そうな顔をして、慌てて通話を終えた。  俺は千歳くんのその様子に眉を顰めた。  ――え? 何?  隠し事なんて沢山されていると思う。それは仕方のない事だって思ってる。だけどこれは何だか胸がざわざわとして落ち着かない。  実は時々見かけた誰かと通話する姿。いつもどこか焦ったような声で、それでいて時々顔を真っ赤にさせたりして、通話の相手が仕事関係でも普通の友だちでもないんだと思わせた。  待ってるって何? その人と会うって事? 何で? 何の用で?  その人は誰――?  千歳くんの耳に光るピアスがやけにキラキラと自己主張しているように見えて、俺の知らない千歳くんに胸がぎゅっとなる。  ある『答え』がそこに見える気がするが、そんなのは認められなくて俺は一度だけぎゅっと目を瞑り自分に都合の悪い事は全部なかった事にした。 ***** 「紫央、ちょっとこっちに」  呼ばれて行けば、千歳くんの手が目前に迫ってきて口元についていた何かを取った。 「まったくまたお菓子食ったんだろうー。着替える時に顔も洗ってこいよ?」 「――あ……」 「ん? どうした?」 「――貰ったんだ」  ドキドキといつもより早い鼓動。少しだけ手が震えてしまうのは罪悪感からなのかなんなのか。 「へぇ。――誰に?」  こういうのダメだって分かってる。だけど――。 「大学で……女の子に」 「――へ? そ……そうなんだ……。やっぱ紫央はモテるな」  驚いた顔をしたのにすぐに何でもない事のように笑う千歳くん。  そんな風に笑う千歳くんは――嫌い。  やっぱり俺の事幼馴染で、弟……くらいにしか思ってない……?  告白した時返事を先送りしたのは、はっきりと断って俺を傷つけないように?  俺はずるいやり方で千歳くんの気持ちを試そうとした。  そして見事に玉砕したわけだ。  千歳くんは俺に特別な感情なんて抱いていない。
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