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空の部屋
もう、ここに来るつもりはなかった。でもやっぱり来てしまった。
ゆっくりとドアを開けると、部屋の中は窓から差し込んだ朝日で、ほこりがキラキラと光っていた。
机にも、ベットにも、本棚にも。
全部にほこりが覆いかぶさってしまっている。
空のお母さんに無理言って入れてもらったんだ。あんまり長居はせず、早く帰ろう。
一歩中に踏み入れると、少しだけ空の香りがした気がして、懐かしい気持ちになれた。
…空はここにずっと居るのだろうか。
空の本棚には、お気に入りと言っていた文庫本がたくさん並んでいた。そのどれもが以前空の部屋で一緒に遊んだ時のまま。空との記憶が溢れ出してくるようで、切ないけど嬉しい、どこか変な感情になった。
上の段から下の段へと見ていくと、一番下の段の右側、誰にもバレないよう隠したかのようなノートが一冊あった。
興味本位で手に取ってみる。
表紙には何も書いてなく、一ページ目を見た。
それは、空の日記だった。
僕たちが付き合い始めた日から、その日記は始まっている。空、秘密はナシにしようね、なんて言っておいて、こんな秘密があったとは。
空の手書きの文字は懐かしくて、読んではいけない気がしたが、読みたいと思ってしまった。
『20xx年 9月12日 雨
雨が降る中、一ノ瀬くんに告白された
とってもうれしかった
入学したときから気になっていたから
付き合うことになった
メールアドメスも交換した
明日からが楽しみだ』
…懐かしい。
僕たちは秋の雨のなかで付き合った。そのことがあってから、僕は雨が降るたびに空のことを思い出すし、空の声を聞くと必然的に雨を思い浮かぶ。
そこからはメールの内容や、僕の好きなところなどが書いてあった。
読んでいると空を感じられて、居心地がよかった。
『20xx年 12月24日 くもり
今日から冬休み
宿題は順調に進んでいるし、久しぶりに友達とも遊んだ
そして、一ノ瀬くんとデートの約束をした
一ノ瀬くんはデートとは言わなかったけど、いっしょに遊びに行くのはデートだろう
付き合っている男女が2人で遊びに行くのはデートだと思う
早く明日が来てほしい
どんな服を着ていこうか、もうすでに楽しみでしょうがない
当日になったら爆発してしまうかもしれない
でもそうしたら一ノ瀬くんに迷惑かも 爆発しないようにがんばろう』
急いで書いたのかな。最後の方にかけて字が少し崩れている。
ちょっとよく分からないことも、空らしくて愛おしい。
…そんなに楽しみにしてくれてたんだ、初デート。
『20xx年 12月25日 雨
今日は一ノ瀬くんと初めてのデートをした
あいにくの雨だったけど
一ノ瀬くんは雨だと告白したときを思い出すからうれしい、と言っていた
私もそう思った
私達らしいね、なんてちょっと恥ずかしいことを言ってしまったのを後悔している
駅の前のイルミネーションを見に行った
クリスマスだからか周りには男女が多かった
そこで、ワンピースをほめてもらえた
うれしすぎて内容を全部覚えてしまっている
そのワンピース、暁乃らしくてかわいいね
そのあとのふっと笑った笑顔がかっこよすぎた
今日はねれないかもしれない』
なんでそんなこと覚えてるんだこの子は。それになんでわざわざ日記に…。それだけ嬉しかったのかな。僕も結構恥ずかしかったんだけどなぁ。
それにしても日に日に文字数が増えていってる。日記を書くのが楽しくなったのかな。
『20xx年 1月8日 晴れ
冬休みが終わって、始業式があった
久しぶりに友達や一ノ瀬くんと会えたことがうれしかった
みんな元気そうでよかった
でも私はすこし体調がわるいかもしれない
激痛、とまではいかないけどあたまとおなかが痛い
明日はテストがあるから今日は勉強をするつもりだったけどはやめにねよう
学校に行けないのはいやだ』
…空の病気が発覚したのはこの9ヶ月後のはず。この頃からもう病気の症状が?それともただの風邪かなにかなのか…。
次のページには1日寝れば治ったと書いてあった。よかった、ただの体調不良だったようだ。
『20xx年 2月24日 晴れ
高校生になって初めての文化祭があった
私と一ノ瀬くんは衣しょうグループになれた
とちゅうで同じグループの子たちが一ノ瀬くんに
下の名前で呼んでいい?と聞いているのを見てしまった
私すら一ノ瀬くんってよんでるのに!!
明日は私もゆうくんって言ってやる』
…確か、そんなこともあったっけ。
みんながゆうくんって呼んできて、なれないなぁって思ってたら、空が「ゆ………っめの話をしたいんだけど!!」って意味のわかんないこと言ってきて。懐かしいな。
僕の名前を呼ぶのを少し恥ずかしそうに躊躇っている空、かわいかったな。
暁乃って僕も呼んでたけど、空がゆうくんって呼んでくれてからは空って呼ぶようになったんだ。
そこからも空の日記は続いていて、僕との思い出や、空におこった出来事もいろいろ書いてあった。
そして、日記は9月22日で終わっていた。
次の日の9月23日は、空の病気が見つかった日であり、余命が宣告された日だ。明日も普通に生きられると思っていた空が、「普通」が普通じゃないことを実感した日。
僕は12月31日までの3ヶ月を空が幸せに生きることができたか心配だった。もっとしてあげられることがあったんじゃないか。空のしたいことがもっとあったんじゃないか。
それを知りたくてこの日記を開いたようなものだった。でも書いてなかった。空はなぜ書くことをやめてしまったんだろう。でも、そんなこと考えるだけ無駄だ。僕が一生知ることはない。
でもやっぱり気になってしまう。あのころの空の気持ちが、心が、頭の中が。あの笑顔はなにを考えて、なにを思っていたのだろう。
僕でよかったのだろうか……。
「もう帰らないと。」
ノートを閉じて、本棚に戻す。
ドアをゆっくりと開けて、外に出る。
「じゃあね、空。」
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