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「そういえば、最近、ライア様にお会いしてません。アーネストの姿も見ていません。ときどき気配は感じるんですけど、起きている間に顔を合わせることがなくて」
「気配を? 妙だな。その二人はまとめてアルスに預けている。いまは神殿にいるはず」
闇雲に話題を変えようとしたのに、アルザイにはまったく含む様子もなく返されて、セリスは思わず真顔で見返してしまった。
「アーネスト、王宮に出入りしていないんですか? 僕が酔いつぶれたときとか、書庫で寝落ちしたときとか……。すぐ近くにいるように思ったのですが。何も言わないでいなくなっちゃうの、少し変だなと思っていて。あれはアーネストが」
途中で、アルザイの顔ににやにや笑いが広がるのを見て口をつぐんだ。思いもかけない事実に行き当たりそうな予感がした。
果たして、アルザイは楽しげな口調で言った。
「アーネストだと思っていたのか」
「いえ、いいです。何も言わないでください。言ったらいけません。絶対に言わないでください……!」
くっくっくと笑い声をもらしていたアルザイだったが、しまいに笑いを爆発させた。
「あっはっは、そうか。なるほど。気付いていなかったわけか。それはそれは……笑いごとだな。ラムウィンドスも報われない男だ」
アルザイにとっては笑いごとかもしれないが、セリスにおいては卒倒寸前の事実だった。
「だって僕はあのひとを思いっきり侮辱して、愚弄して……。ふ、普通顔を合わせるのも嫌になるのではないですか!?」
「そうだな。たしか『野蛮人』と言って追い払っていたはずだ。だから顔を合わせないようにしていたんじゃないか」
「そんな……ッ。あのひとは一体何が目的なんですか!?」
「目的、なぁ」
アルザイの、遊んでいた手から薔薇の砂糖漬けが零れ落ちて、セリスが身を引こうとしたときにはすでに強い力によって広い胸に抱き寄せられていた。
「アルザイ様っ」
「俺の『短命』の予言のことを聞いただろう。それゆえに、俺が妻子を持たないということも」
(まったく身動きができない……!)
体格差も力の差も歴然としている。仮にその腕から逃れることができたとしても、今以上に危うい体勢になりかねないと思えば、セリスは息を殺してその声を聞くのみであった。
体に直に響いてくる、甘やかな低音。
「俺は結局この年齢まで生き、早死にはしなかったわけだが……。もう少し強い予言が、俺に味方をすれば心強いと思い描くことはある」
「何を……」
アルザイの大きな掌が、セリスの頬に添えられて顔を上向けられた。
「月の姫よ、俺を覇王にする気はあるか」
真摯な黒の瞳のどこに冗談の影を見出せば良いのかわからずに、セリスはこくりと唾を飲み込んだ。
「アルザイ様は……誰の承認も必要としない、覇王であらせられます」
「誰の承認も得られない。孤独な王だな」
口元に皮肉げな笑みを刻んで、不意にアルザイは腕の力をゆるめる。
(逃げていいのかな……)
様子を伺うと、アルザイに呆れたような視線を向けられた。
「俺に同情をしている暇があったら、姫はさっさと己の貞操を守る努力をしろ。俺の気が変わったらどうする」
セリスは速やかに腕を押しのけて身を引き、立ち上がった。
「同情などしておりません」
「そうか。ならば、お前がその気になったら俺はいつでも歓迎する心づもりであると知っておけ。俺を選べよ」
足から力が抜けそうだった。言葉は強いが、アルザイらしからぬ弱気に囚われているように思えてならない。
「何かあったんですか。もしかしてゼファード兄上に何か!? アルザイ様が僕の身柄を本格的に引き受ける決意をするほどの!? 月は無事ですか!」
「やめろ。男が女を口説いているというのに、そういう斜めの話をぶっこまれても興ざめなだけだ。この後は静かに飲みたい。もう少し付き合え。というかお前は何か食え。俺に任務を遂行させろ」
ごちゃごちゃと言いながら、アルザイは立ち上がって元の席に戻る。姿勢を崩し、だらしなくクッションの上に身を横たえた。
「任務とは?」
「お前が。『仕事に夢中になると、寝食が疎かになり生活が乱れていけない』と。つつがなく暮らせるように見守るように仰せつかってる。姫の保護者気取りの、あの馬鹿から、な。俺をなんだと思ってるんだお前ら。いい加減にしろ」
何か非常に不当な叱責を受けているような気がしたが、もしアルザイの言っていることが本当なら、確かにあの男はこの国の王をなんだと思っているんだ、としか言いようがない。
「僕が謝るのも筋違いなんですけど……深くお詫び申し上げます」
どっと疲れて、その場に座り込んでセリスは頭を垂れた。
そして、目に着いた薔薇の砂糖漬けに手を伸ばし、口に運んでもしゃもしゃと食べた。
闇雲に口に放り込んだので、味を感じる余裕もないと思っていたが、薔薇は頭の芯まで痺れるほどに、甘かった。
酔うほどの芳香が立ち上る。
セリスは束の間、心を無にして薔薇を噛み、飲み込んだ。
そして、長く深い溜息をついた。
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