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「断らなくて良かった。それこそ、そんなことアーネストにはさせられない。彼は私の部下でも何でもないもの」
「アーネストの誇りは大切に思うのに、王女である自分の身はどうでもいい?」
(ずいぶんと、遠慮なくずけずけ言う男ね。それでいて腹の底が読めない。探り合うには分が悪すぎる相手だわ)
探り合いは早々に諦めて、ライアは言った。
「『王女である私が女を使うだなんて嫌』と言ったとして、では誰か他に『そういうこと向きの下賤の女』がいるのかしら? 暗殺や諜報の必要性は理解しているわ。無い方が望ましいし、名誉な仕事とは思わないけれど、誰かが担っている仕事よね。現にあなたは、私が断ればアーネストにやらせるだけだと言った」
ふう、と息を吐いてアルスはドアに背を預けた。
恐ろしく気の抜けた態度。自分に戦意も敵意もない、と暗に示しているかのようであった。
ライアと目が合うと、アルスは浮かない調子で告げた。
「古今東西を問わず、人間というのは同じ人間を『ものを言う道具』として扱う制度を持っている。奴隷制という。私は宗教家なので、より豊かな社会、搾取や抑圧のない社会について語ることもあるけれど、この二つは実に両立しがたい。そもそも王や貴族といった上に立っているとされる人間はごく当たり前のように『下賤なるもの』『搾取されるべきもの』を想定して成り立っている……。身分の高い生まれながら、そういう相手に思いやりを持てる人間というのは、実際とても少ないんだよ。私が知る限り」
そこまで言うと、軽く頭を振って両手を開き肩をそびやかした。
「アルザイもここらで賢い嫁もらっておけばよかったのに」
聞こえよがしな音量であったが、内容としては独り言のようだったのでライアは返事をせずに黙って聞いていた。
アルスは気を取り直したように顔を上げると、紫の瞳でまっすぐに見て来た。
「王女の覚悟はよくわかった。後は実力のほどを見せてもらおう」
「どのように?」
何か試験があるのだろうか。
ライアが聞き返すと、アルスはふっと人の悪い笑みを浮かべた。明らかに人が悪い。嫌な予感しかしない。
果たして思いを裏切らず、アルスはにやにやとして言った。
「十日間で、アーネストを篭絡してごらん」
ライアは笑みを浮かべて、「おっしゃる意味がわかりません」と優雅に聞き返した。意地だった。
アルスはその心意気を易々と砕くことを口にした。
「堅気の軍人の一人や二人、簡単に落とせるようじゃなく工作員が務まるわけないよね? 落とすんだよ、あの男を。女で」
アーネストを。
落とす?
混乱を表情に出さないように堪えているライアに、アルスは優美な仕草でお辞儀をしてドアに手をかけた。出て行く前に振り返ると、茶目っ気たっぷりに片目をつむって言った。
「十日だからね。期待しているよ」
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