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薄汚れて埃っぽい旅装に、日差しを避ける布で頭部から首まで覆い隠した青年である。
顔は見えなかったが、声は若かった。
エスファンドをかばうように、リーエンが前に出ようとする。エスファンドはその動きを制するように、繋いだ手を外して一歩踏み出した。
「帝国人か」
ひゅうっと、口笛で答えられる。
「すごい、いまの一言だけで!? 気を付けたつもりなのに。決め手は発音の癖ですか?」
「そうだな。やけに単語が綺麗だった。文法と単語を別に覚えて組み合わせているような話し方というか」
青年はすらりとして背が高く、目元にわずかに燃えるような赤毛がこぼれている。瞳は青空よりも濃い群青。色の組み合わせが、確かにこの地域では珍しい。はるか遠く西の帝国を思わせる。
警戒するリーエンをさておき、青年は親し気な口調で続けた。
「へぇ。天才ってこういう感じなんだ。さっきまで飲み屋にいたって聞いて、まさかと追いかけてきて良かった。七歳のときに『医学典範』を七度読んで、記憶をたどって一字一句間違えずに書き記したとか、帝国までその名は轟いてますよ、エスファンド導師。マズバル王宮に逗留しているとは聞きましたが、まさか街でお会いできるなんて」
腰に帯びた短剣の柄を掴んだリーエンの手を、エスファンドの手がそっと包み込んだ。
「用件は」
「特には。顔を見てみたかっただけです。いずれ助力をお願いするかもしれませんので」
「帝国が、私に?」
「天才に、国境など意味をなしません。せっかくの天才が、国や人などに活動を縛られては勿体ないですよ。あなたほどの方なら、いずれこの地で学ぶものは何もなくなるでしょう。その折にはぜひ帝国へ。大歓迎です」
青年は、胸に手をあて、優雅に一礼をする。
顔を上げたときに、ちらりとリーエンを見た。何か言いたそうに、目に怪しい光が一瞬閃いた。
エスファンドは、面白くもなさそうに言った。
「あなたはまるで、帝国の代表のようだ」
「あははは。意外とそうかも」
軽やかに笑い飛ばして、赤毛の男は「ではまた今度、ゆっくり」と続けた。
「今度があるのか」
「この出会いを大切にしたいのはやまやまなんですが、今、人を追っていまして。あちらはあちらで見失うわけにはいかないので」
いかにも名残惜しい口ぶりで言いつつ、青年は軽く会釈して歩き出した。現れたときと同じく、風のように立ち去る。
その後ろ姿を見ていたエスファンドは、悩ましげな溜息をついた。
「先生?」
「うん。なんだろうねこれ。あまり良い感じはしないな。私は腕が立つわけではないし、お前にも無理をさせるつもりはない。ラムウィンドスかな」
国の要職にあり、その剣の腕には定評のある男の名をさりげなくあげて、エスファンドは空を見上げた。
何のためらいもなく口にされたその名に、リーエンは目を見開いた。
「ラムウィンドス様ですか? 今の男、それほどの何かが?」
帝国から来た人間が、何やら怪しい動きをしている。それをラムウィンドスに直に伝える必要性があるとすれば、それはもはや軍を動かす必要性そ想定しているということだ。
エスファンドは、リーエンの手を掴んだまま歩き出す。
耳元に唇を近づけ、ごく小さな音量で呟いた。
「どうも街の空気がおかしいよ。私からあまり離れないように」
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