右手の請願

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右手の請願

 隊商都市マズバルは、日干し煉瓦をうず高く積み上げた堅牢な壁によって、四方を囲まれている。  壁は、砂風にさらされつつも、砂漠の太陽の下、無骨なまでのものものしさをもって(そび)えていた。  一方で、東の凱旋門には、精緻な幾何学文様の彫りが施され、青と黄色のタイルも埋め込まれており、植物や星、月や太陽が繊細に描き出されている。  それはさながら神聖なる神殿の入り口のように、荒涼の砂漠を抜けて来た者へと開かれているのだった。  すでに大規模隊商の到着の先触れはなされており、門までの途上に人影はない。  馬の足を速めてラムウィンドスが単騎、抜けた。  壮麗なる凱旋門の前へ進み、馬首を返す。  隊商を先導していたマズバル騎兵たちが、連なって左右に羽のように広がり、門を中心として壁に沿って並び立つ。  開けた道を、ラクダを主とした隊商本体が粛々と進む。  隊商の長である東国人のセキが、二瘤ラクダに乗ってラムウィンドスの元へ悠然と近づいた。  風が吹いて、ラムウィンドスの白金色の髪をまとめた白い布の端がたなびいた。  襟の高い、細かな刺繍の凝らされた白の礼服は、ラムウィンドスの秀麗な容貌を際立たせている。それはまた、砂埃に塗れていてさえ失われぬ気高さを、見る者に強く印象付けた。  互いの表情がよく見える距離で、セキがふっと目を細めた。  (いわお)のような厳しさを刻んだ頬に、緩やかな笑みが浮かんだ。  ラムウィンドスが右手を上げ、掌をセキへと向ける。 「マズバルを訪れる旅人に、この右手にかけて最高の安全をお約束します。あなたがたの滞在の間、何人もあなたがたを裏切らず、傷つけず、害を成さぬことを太陽と月にかけて誓います」  右手の請願。  隊商路に点在するオアシス諸都市において、人々の安全を神に誓約し、祈願するときに王侯貴族といった『神と民衆の間に立つ者』によってなされる安全の保障である。  ただのマズバル臣下ではない。滅びた国アスランディアの、かつての王族としての出自を明らかにしているラムウィンドスだからこそ、今この場でできる歓迎の口上であった。    「感謝します」  短く答えてセキは(こうべ)を垂れる。以下、隊商の面々も風に吹かれて倒れる草のように長にならってその場で頭を下げた。  渺茫(びょうぼう)たる果てしなき荒野に連なる隊商の、見晴るかせぬ先にまで目を向けてから、ラムウィンドスは一度顔を伏せて右手を下ろす。少し、待った。  つつがなく受け入れの挨拶を交わしたセキに、顔を上げて小さく頷いてみせた。  隊商が動く。ラムウィンドスとセキは並び立って共に門をくぐった。           
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