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西側の建物の出入り口で、兵士と誰かが言い合っていた。
どうも橋上に出ようとしている者がいるらしい。
「誰も通すなとは言ってあるんだが、揉めているな」
セリスと並んで縁に手をのせていたアルザイが言うと、ライアがすばやく歩き出した。
「見て来ます」
ちょうどその時、兵士を押し切ったらしく、戸口より一人の男が姿を現した。
日除けの布からこぼれているのは、目にも鮮やかな赤毛。若木のように伸びやかな肢体を包むのは濃い緑のチュニックで、ベルトには剣を下げている。
兵士に何事か声をかけ、軽く首を振ってから、居並ぶ三人に投げて来た眼光の鋭さ。
紺碧の瞳が三人の姿をとらえ、最後にセリスに向けられる。
「どちら様かしら」
口火を切ったのは前に進み出ていたライアだった。
男は目を伏せるようにしてライアに視線を向けた。
「これはこれは、うつくしい方。どちら様というからには、名乗れば用は足りますか? イグニスと申します」
深みと艶のある温かな声だった。ライアは片方の眉をぴくりと歪めたが、男から目を逸らさぬまま、背後の王へ問う。
「ということですが?」
「さて。どういうことかな」
それを受けて、アルザイは一歩踏み出し、けぶるような黒の瞳を細めて、名だけでは不足とばかりに態度で示す。
イグニスは飄々とした口ぶりで言った。
「そちらの銀の乙女は、月の方ですか。そういう色合いは王族にしか出ないと聞き及んでいますが」
(やはり、この髪に気づくひとがいた)
セリスは、ごく落ち着いた声で答える。
「あなたは? どちらからおいでですか」
「これは失礼。私はここよりはるか西、ローレンシアより。……今日はわが国へと向かう隊商がこのマズバル入りをすると聞きまして、よく見える場所を探していたんですよ。ご一緒してもよろしいですか」
深い紺碧の瞳に光が宿る。逸らせない。あまりに、強い。
「高みの見物などせずとも、直接面会に出向けば良い。場合によっては同行して帰国もあるのではないか」
イグニスは唇を引き結び、アルザイを見た。
燃え盛る、青い炎のようなまなざし。
「隊商が本当にローレンシアを目指しているのならば、或いはそういうこともあり得たかもしれないが」
人々のざわめきが足下の地上より立ち上る。
昼を少しまわった程度の時間帯であるが、気温は活動を阻害するほど高くない。
乾いた風が吹いていた。
「私は見届けにきたんです。あれは、古代都市を滅ぼした木馬のようなものかもしれない」
イグニスは厳然として告げ、列柱道路の方へと目を向ける。
橋の下の道は、まっすぐと列柱の切れ目の交差点に通じている。いままさにそこに到達し、後続を率いてこちらに向けて馬首をめぐらせた騎乗の人の姿、そして並び立つラクダとそこに座した人がよく見えた。その背後に続く一群も……。
不意にイグニスが目をみはった。
その瞳は何をとらえたのか。
まっすぐに進んでくる騎乗の白装束の青年を見つめていた。小声で呟いた。
「サイード……?」
アルザイが、目を見開いた。
「何故その名を?」
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