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ひとめあなたに
二人のやりとりを、遠く意識の隅に聞きながら。
セリスは騎乗のひとである彼の姿を見ていた。
凪いだ表情をしている。感情の在り処をうかがわせぬ、静謐に満たされた顔だ。
それはセリスの心の多くを常に占めている、超然とした無表情。
彼が、意外なほどに明るく笑うのを知っている。困ったように向けて来る弱ったまなざしも、欲望に濡れた瞳も知っている。どれをとっても、思い出すたびに胸をしめつけられる。
(……わたしを見て。見ないで。目が合ったら、見つめられたら、息が止まってしまう)
ゆるやかに、だが確実な足取りで隊列は進んでくる。
先頭の二人は、時折会話をしているようだった。街道沿いに並んだ人の好奇の目は特に気にした様子もない。
しかし、さすがに頭上に渡された橋には多少注意はひかれたのだろう。
ラクダの上の男が目を向け、つられたように馬上の青年も顔を上げた。
視線が絡む。
唇が微かに動いて、青年は声なき言葉を紡いだ。
姫、と。
ほんの一瞬だった。
永遠のような一瞬。
青年は再び、肩を並べて進む男に何事かを話しかける。
まるで空中の橋を決して話題にのせぬまま、その下を潜り抜けようとでもするかのように。
セリスもまた目を伏せて、橋の縁から身を引いた。
(姫、と言った。あの目にわたしは確かに映った)
うつくしく飾り立てられたこの姿。しばらく男装をしていたがゆえに、心もとなく寄る辺ない、自分のあるべき姿からかけ離れてしまったかのような女性の姿を、あの人はどう見たのだろう。
(………………イシス)
じわりと胸の中に広がる黒い染み。
それはあの人にとっても、特別な意味を持つ名なのだろうか。もしそうならば。わたしは。
「そうか。なるほど、彼は『太陽の遺児』か。あれが噂の」
イグニスが額をおさえて独り言のように言った。
アルザイは厳しい視線をその顔に注いだままだ。
「サイード王子に会ったことがあるのか?」
問いかけには、確信が満ちている。イグニスは額に手をあてたままアルザイを見た。
「ある。似ている。私が以前会ったときが、あのくらいの年齢なのかもしれない」
セリスは大きく息を吸い込んで、吐き出した。会話は耳に届いていた。聞かなかったことにはできない内容だ。
「サイードとは、どなたですか」
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