嚆矢

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嚆矢

 アルザイとイグニスが目を合わせる。  口を開いたのは、アルザイが先だった。 「亡きアスランディア王の弟だ。かなり年が離れていたはずだ。ラムウィンドスの叔父にあたる。生きていれば、ラムウィンドスの十歳くらい上か」 「生きているよ。私が会ったときはそりゃもう元気だった。悪夢のような剣鬼だよ、あの男」  うんざりとした物言いには、少なくとも親愛にあたる感情は見当たらない。味方の口ぶりでもなかった。 「どこで会った。あの戦争の混乱期に、サイードは姿を消している。死んだとは思えなかったが、生きていたとは」  単刀直入に尋ねたアルザイに対し、イグニスは思わせぶりなそぶりも駆け引きの様子もなく、速やかに答えた。 「サイードは、今はアルファティーマにいる。アスランディアが滅びたとき、結構な数の太陽の民が草原へと流れ込んだらしい。サイードはその中心人物として、頭角を現している。私があの男を目にしたのは、ミトラス大帝の壁越しの攻防戦だ」  ミトラス大帝の壁とは、ローレンシアの首都を囲み外敵を寄せ付けぬ堅固な壁の名として有名であった。  イグニスの弁はつまり、「サイードという太陽王家の人間が、アルファティーマの兵となり、帝国攻めに加わっている」という意味に他ならない。 「嘘と断じる根拠はない。その嘘に、帝国として利点もなさそうとあらば、本当のことかもしれないな」  片目を細めて眉をしかめたアルザイは、苦々しく吐き出す。そして、イグニスに目を向けた。  心得ているかのようにイグニスは片手をあげて、アルザイの言葉を制する仕草をした。 「あなたは今は名乗らないで欲しい。やりづらくなる。ただ、私は今一度名乗っておく。イグニス。ローレンシアの宰相の末席を汚す身だ。お見知りおきを」  片足を軽くひき、胸に手をあてて頭を垂れる。 「なるほど。そのように名乗りを上げられては、俺の護衛兵も無闇と追い返せないわけだ」  面白くもなさそうにアルザイは呟いて、視線を空に逃がした。  つられたようにセリスも上を見た。  大きな翼を広げて、悠然と飛ぶ鷲の姿がそこにあった。  アルザイはそれをまぶしそうに見てから顔を下ろし、橋の下を行く隊列を視界におさめる。  延々と続く隊商の一群は、いままさに通過中である。  ここまで鋼の意志をもって砂漠を渡ってきた者たちであるから、いたずらに列を乱したり、街の空気にはしゃいで飛び出して遊びに行こうとするそぶりはない。  しかし、気を許すことはないとばかりに、マズバル兵たちが一定の間隔で両脇に張り付いている。  同じく(せん)より下を見ていたライアは、知った顔を兵の中に見つけて固まっていた。  その目が見るのは銀の乙女であるところのセリスであろうと、心は穏やかにも諦めはついている。  肝心のセリスは、橋の下に彼がいることには気付いていないようだが。袖をひいて教えてあげようかしら、とライアがセリスに歩み寄ろうとしたその時。  アルザイがセリスを、イグニスがライアの頭を同時におさえつけて橋の底面に身を伏せさせた。  飛来したのは数本の矢。  それがはじまりを告げた。 
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