密約或いは

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 新たに部屋に入ってきたのは、短い茶髪に、粗削りな顔立ちをした三十がらみの男。顔をあらためられたのか、日除けの布などもすべて取り払ってこざっぱりとした様子である。  杯を卓に置いて、イグニスが言った。 「私の部下だ。外の様子はどうだった」  足を組みかえ、身を乗り出したイグニスに男はちらりと視線を向けてから、室内を見渡す。ラムウィンドスに目を止めて、言った。 「いましたね。隊列の後ろの方にいて目立たないようにしていましたが、暴動が起きかけたときに鎮圧に動きました。容赦なく身内を切り捨てるあの苛烈さ、さすが剣鬼。アルファティーマにかの人ありのサイード王子に間違いないでしょう」  ラムウィンドスが無言のままアルザイに目を向ける。  アルザイはしっかりと頷いて口を開いた。 「いるらしいぞ。隊商の一行に、サイード王子が。いや、この上はアルファティーマが、というべきか。そういうことだな?」  アルザイからの声がけに対し、イグニスは椅子に深く腰掛けなおした。 「隊商自体は本物だろう。ただし、東国はここ数年アルファティーマと手を組んでいる。護衛の名目で隊員にアルファティーマの戦士を混ぜているんだ。というより、あの隊商の大半がアルファティーマ兵と見て間違いない」  「朝貢品はさしずめ、ローレンシアにつきつける、毒杯か」  イグニスの故国であるローレンシア帝国は、隊商の出発地である東国とは古来より交易によって繋がりがある。  地理的に離れており、間に草原や砂漠を挟んでいるので、表立って反目してきた歴史はない。  しかし、両者の中間で台頭してきたアルファティーマとは、現在戦争状態にある。 「我がローレンシアを打破する為に、アルファティーマが東国に働き掛け、盟約が成ったとする。そして、嘘偽りのない本物の東国の隊商に、アルファティーマ兵士を紛れ込ませ、ローレンシアに入り込んで内側から食い破ろうとしている……。来ないでくれるのがありがたいが。毒杯とわかっていても、送り主は真実、東国の王なのだ。来てしまえばローレンシアは飲まざるを得ない。今日のマズバルのように」  アルザイは腕を組んで、つまらなそうにイグニスに視線を投げた。 「あの規模でアルファティーマの支配領域をどう抜けるつもりなのかとは思ったが、やはりそういうことか。密約くらいは成っているとは思ったが、隊の中身がアルファティーマ兵にすり替わっているとは」 「ああ。しかし、無事にアルファティーマを抜けられるとわかっていればこそ、そこに至る前に一働きはしておきたいだろ。たとえば、マズバルで問題事に巻き込まれたとして隊商都市の顔を潰しておけば、東国も、ローレンシアもマズバルの落ち度を追及するだろう。というよりも、東国がアルファティーマに出している条件の一つが『マズバル騒乱』と見て間違いない」  言いながら、イグニスが右手で左腕をおさえた。 「痛みますか」  怪我の位置が、とライアが指摘するとイグニスは顔をしかめた。 「少し。しかし、少なくともローレンシアはマズバルと事を構える気はないですし、むしろ仲良くしたい。これはその親睦の証のための怪我です。これを理由に、ひとまず隊商の長はここに押さえることに成功したわけですから」 「ぬけぬけと、よく言う」  アルザイが聞こえよがしに呟いたが、イグニスは笑顔で話を続けた。 「幸いなことはもうひとつ。おそらくあの少年は、何らかの不確定要素です。奴らが事を起こそうと段取りしていた時機ではないときに、騒ぎを起こしたように私には見えた。指示があったと勘違いして略奪に走ろうとした輩は、異変に気づいた身内(サイード)に粛清された。こちらとしては、隊の責任者を拘束できた。その上、『貴人を攫って逃走中の凶悪犯』を追う名目で警備は強化できるし、隊商の動きも大っぴらに見張れる。鷲使いの少年、なかなか良い働きをしてくれた」 「鷲使いの少年というのが、姫を攫った『凶悪犯』ですか」  ラムウィンドスの確認に対し、一瞬全員が押し黙る。  口火を切ったのはイグニスであった。 「あなたも含め、ここにいる全員が、彼についてはまるで何も知らないような口ぶりだ。演技でもなさそうだし。とすると、ここにいる者の関知しない誰かが動いていることになる。慧眼だね、その人は」 「……まったく、心当たりがないわけでは、ない」  歯切れ悪くアルザイが言うと、イグニスは心外そうに「あなたはそうだろう」と言った。  そして、会話の流れを断ち切るように皆を見回して言った。 「我がローレンシアはあの隊商に国まで来てほしくない。隊商はマズバルで騒ぎを起こそうとしているが、今は予定外の揉め事で一応動きを食い止められている。だが、条件が整えば必ず動き、暴徒化するだろう。さて、ここで我々が双方の利益の為に取り得る最良の方法とは何か?」  口調は軽かったが、表情は冷静であり、続く結論に一切の躊躇はなかった。 「皆殺し、だと思わないか?」
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