騙し合い

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「ずいぶんと舐められたものだ。双方の利益が聞いて呆れる。マズバルにとっては、あの隊商が何事もなく都市を発って西へ向かってくれるのが一番良い。それこそ、近隣で野盗に襲われることもなく、都市内で人品を不当に損なうことなく。それでアルファティーマの支配領域も無傷で通れるというのなら、後は知ったことか。ああ、もちろん復路があるならその時はまた歓迎しよう。朝貢品に見合う返戻品は用意できるんだろう? 偉大なるローレンシア帝国は」  言葉に(はげ)しさはなかったが、室内を風が抜けたかのような錯覚があった。  その気迫を受け、イグニスは瞳を不敵に輝かせる。 「いまの。まさか『帝国は返礼品も用意できない貧乏』って言ったのかな。それとも、あの隊商を迎えたが最後、滅ぼし尽くされて、復路なんか無いだろうなって意味?」  一切怯むことのない、毅然とした態度。  二人の言葉に耳を傾けていたラムウィンドスが、淡々と口を挟んだ。 「右手の請願もしました。どんな理由であれ、受けた以上は向こうもそれを無碍(むげ)にするわけにはいかないはずです」 「しちゃったの!? あなたは隊商都市の長でもないのに!?」  心から意外そうに言われて、ラムウィンドスはそっけなく答えた。 「そうです、してしまいました、俺が。……俺の一存でしたこととして、長がその誓約に効力を認めなければ、そもそも無効かもしれませんが」  表情を変えずに言うラムウィンドス。  アルザイが目を向けたが、気付いていないはずはないだろうに黙殺して言った。 「『右手の請願』なんて、ただの牽制ですよ。神に従順な者に心理的な抵抗を生むだけの。実際的な話で言えば、鷲の少年とやらの方が効果的に時間は稼いだようだ」 「ただの牽制、とは。神聖な誓いも、形なしだ」  イグニスが笑い声をもらす。  物言いたげな含みのある視線をかわして、ラムウィンドスは謹厳実直な口ぶりで言った。 「隊商は予定通り野外劇場にご案内しています。規模が大きすぎて隊商宿では対応しきれませんので。ですが、警備の方は万全ですよ。元来隊商宿というのは盗賊への警戒から門は一つというのが通例ですが、劇場も出入り口は一つに絞り余計な門は埋め立ててあります。市場は明日以降、逗留中の商人を呼び込んで劇場内で立てれば良いでしょう。羽目を外したい者たちのために、今日は食べ物も酒も豊富に運び入れています。荷解きも終わった頃でしょうし、そろそろ宴が始まる頃ですかね」 「なるほど。そもそも誰一人として、市内に出すつもりがない」 「休息は大切ですが、街に解き放ってしまえば規律も乱れます。あの人数を遊ばせるのはお金がかかりますし、ここはまだ往路の中間地点でしかない。長もよくご存じでしょう。明後日の夜には出立の予定だとか。たとえあの隊商の中身がアルファティーマ兵なのだとしても、マズバルの威信にかけて暴動など起こさせません。隙を作らなければ良いんです」 「本当にそれが可能? ここで殺す決断をしなかったことを、あなたがたは必ず後悔することになると思うよ。アルファティーマは、話が通じる相手ではない」  ラムウィンドスは無言でイグニスを見つめ、アルザイに視線を戻す。アルザイは断固とした様子で首を振った。  隊商路の守護者として築いてきた今の地位は、「正規の隊商」を前に、疑いだけで虐殺に踏み切れるものではない。  無表情を保ったまま、ラムウィンドスは踵を返す。  部屋から出ていく前に、肩越しに振り返った。 「イグニス殿。あなたは隊商の長に矢傷の因縁をつけにいけばよろしいでしょう。俺はサイードの叔父上に挨拶でもしてきます。さしずめ、暴徒の鎮圧に動いて頂いた件、警備責任者として感謝を述べておきましょうか。……旧交を温めたいと言われるなら、やぶさかではないのですが」  抑制の効いた声には、普段それほどの感情が滲まない。  だがこの時は、聞くものの熱を奪うような冷ややかさがそこにあった。 「セリスは……」  ライアが控えめな声で尋ねる。  ラムウィンドスの金色がかった茶色の瞳がライアに向けられた。わずかに細められる。  どこか遠くを見るようなまなざし。ライアではない何か誰かに届けるようなひそやかな声。 「身体が二つないので」  背を向けて、立ち去った。  もはや誰もいなくなった空間を見つめ、アルザイは首を振る。  顔を上げると、廊下に向かって声を張り上げた。 「念の為、もう一度市内の見回りを。少し気になることがある。俺も行く」         
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