闖入者たち

1/1
前へ
/265ページ
次へ

闖入者たち

 声が聞こえて姿が見えた瞬間、身を起こしたエスファンドが鋭く言った。 「その子を、逃がすな」  立ち上がって走り出そうとしたリーエンの前に、人影が立ちふさがる。  続けざまにエスファンドが指示を飛ばす。 「死なせるな。舌を噛むぞ」  意図を汲んだその人物は咄嗟に手にしていたナイフの柄をリーエンの口の中につっこんだ。ガツッという手ごたえのある音と「うんっ」という呻きが続く。 「雑やなー……」  呆れたような呟きをもらしつつ、均整のとれた体躯の青年がリーエンの背後をとり、後ろ手にまとめて手首をおさえた。 「状況が見えないんですけど……。先生? リーエン……?」  目に沁みるような白の衣服をところどころ砂埃で汚した少女が、困惑しきりの様子で部屋の中に進み出る。 「知り合いやの?」 「はい。ええと……お二人はここで何を?」  寝台で片膝をつき、その膝にもたれかかるように姿勢を崩していたエスファンドは、少女の問いかけに口元をほころばせた。 「逢引」  逃げ出そうとしたリーエンをとらえた少年と青年が、視線を交差させる。  エスファンドは、窓から入り込んだあるか無きかの風に目を伏せて言った。 「その人はそのまま縛り上げてくれないか。ここから出すわけにはいかない。……マリク? 今日はまた、変わった装いをしているね。女に戻るの?」 「これはその、事情が。今日限りのことで。明日からはまた先生の元で勉強を……」  言いながら、声が小さくなる。エスファンドの笑みが優し過ぎたせいだ。  一方、リーエンは口に布を詰め込まれ、家探しで見つけてきた布の紐を手にした少年によって、手足を縛りあげられていた。当初はきつい睨みをくれていたものの、少年のあまりの躊躇いのなさと手際の良さに、今は眉をしかめたまま床の一点を見ている。 「さて。予定外の客のおかげで私は弟子といいことをしそびれたんだが。穏やかじゃないね」  エスファンドが、頭に巻いていた布に手を触れて鬱陶しそうに外す。その様子を見て、美貌を隠すこと無く晒した青年が言った。 「逢引の相手はこれでいいんか」 「そうだ。その子は、解き放つと何かしら隊商の者たちと(はか)って悪さをする。それを許せばこの子は『工作員』になる。三日くらいか、ここに転がしておいて悪さに手出しをさせなければ、ただの『留学生』のままだ」  しん、とそれぞれが理解に時間を要したがゆえに沈黙が訪れた。  指示通りに床にリーエンを転がした少年が、誰も発言しないのを見て取り口を開いた。 「三日は死にます。水分補給とか。地下室があるなら意外といけるかな。空気穴があれば」 「お前は何を言うてんのや」  青年にすかさず言われて、少年は目をぱちぱちとさせた。 「地下は涼しい」 「……ええと、姫。話を進めよか」  少年を黙殺して、青年はいま一人に声をかける。 「そうですね。僕たちはさる事情があって逃亡中です。こちらの少年がアテがあるというのでここに身を隠そうとしていたんですが。エスファンド先生は……えーと、こういうのなんて言うんだろう。リーエンが『間者』だと気付いて……?」  状況を整理しようとする白装束の少女、マリクことセリスを座したまま見上げて、エスファンドは頷いた。 「いつ色仕掛けをしてくるのかと待っていたんだが、一向にしてこないから、私から誘った。参ったね、私の許で勉強をするのが楽し過ぎて、自分の使命を忘れていたんだろう、この子は」  床に転がっていたリーエンは、無言のままごろりと寝返りを打って、すべてに背を向けた。  そこにわざわざと歩み寄り、しゃみこんでセリスが声をかけた。 「忘れたままでいれば良かったのに……。思い出してなんかいないでしょう? 僕は何も聞いていません」  リーエンは顔を背ける。  青年、アーネストはセリスの肩に手をかけゆるく首を振った。 「顔を近づけたら危ないで。噛みつかれる」  納得がいってないらしいセリスは何かを言い返そうとしたが、その横に少年がすっと片膝をついてナイフを振り上げたのを見て「おい」「だめ」と二人同時に止めに入ることになった。 「こういった工作員が、マズバルにはだいぶ前からたくさんいるはずです。殺した方が安心です」 「落ち着けや。工作しそびれればただの人やて、そこの男は言うてるやろ。聞いてたんか」 「あなたは甘い」  少年は澄んだ黒の瞳でアーネストを見上げる。  視線を受け止めて、アーネストは唇を引き結ぶ。  二人を差し置き、セリスはエスファンドに向き直った。 「先生は、今回の隊商が市内で何かしでかすとお考えですか」 「そうだね。せっかく来たんだ、何かはするだろう。でなければ、私の可愛い弟子がこんな思いつめた顔をするわけがない」  立ち上がった少年が、セリスに声をかけた。 「拷問します」  アーネストは渋面となり、セリスは曖昧に笑って答えた。 「知り合いなんです」 「命をとらないでも痛めつける方法はいくつもあります」  セリスは、翡翠の瞳に穏やかな光を湛えて少年をまっすぐに見た。 「リーエンはそういうのに屈する人じゃないと思う。少し落ち着こう? 冷静に見えていたけど、君はかなり気が立っている。焦っても判断を誤るだけだ」 「では姫は正しい判断が出来るのですか。今何をするのが最善か。どの道が安全で、協力者は誰か」   挑むような少年を見返して、セリスは頷いた。 「大丈夫。まずはここの安全と、逃走経路をみんなで確認しよう。エスファンド先生の意見はよく聞いて。僕は着替えた方が良さそうだ。この服では目立ちすぎる。君は少し休もう。少しだけ。それとこれは重要だ、よく聞いて。僕は君の名前が知りたい」  目を逸らさぬまま、涼やかな声で淀みなく言われて、少年はぴくりと片眉を動かした。 「甘いことを言っていると、足元をすくわれます」 「すくわれても立ち上がるよ。転ぶことなんて怖くない。名前は?」  少年はアーネストに目を向けた。無言で見返されて、目を合わせてしまったことを悔いるように目を逸らす。  そのまま、室内の調度品を眺めているだけとばかりに視線をさまよわせてから、やや不自然な間を置いて低い声でぼそりと言った。 「ロスタム」
/265ページ

最初のコメントを投稿しよう!

78人が本棚に入れています
本棚に追加