月を呼んだ日・剣に

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月を呼んだ日・剣に

「このあっつい中、いつからやってたのー?」  年齢不詳の人懐っこい顔に笑みを浮かべ、親し気な口調で話しかけてくる。  その名は遠く東の果てから西の大陸にも届くという、知の巨人。英才エスファンド。  背後では、ラムウィンドスがエルドゥスの監視についていた兵に下がるように声をかけている。 「いつからだったかなぁ」  エルドゥスもまたのんびりとした調子で応じた。目はラムウィンドスの動きを追っている。  エスファンドが唇から友好的な笑みをこぼして言った。 「剣士たち。体力余っているなら、ラムウィンドス締め上げていいよ。二人がかりで。私が許可する」  申し出としてはいささか問題ありすぎる。  アーネストは話半分で聞いていた。また、何を言い出したのかと。そこからまだ説明が続くと信じて疑っていなかった。  待たなかったのは、エルドゥスである。勢いよく走り出し、飛び上がり、振りかぶってラムウィンドスに刃を打ち下ろす。  大上段からの派手な動きは、当然ラムウィンドスにかわされる。  連撃を予期して、すでに剣は抜き放っていた。  エルドゥスは黒瞳を炯々と光らせ、口元に不敵な笑みを浮かべた。 「昨日はどうも。人前だったから負けてやったよ」  ラムウィンドスの表情に変化はない。  にこにこと見ていたエスファンドが、そこで口を挟んだ。 「その男、いま指に棘が刺さってイライラしているんだ。痛いらしいぞー。剣うまく握れないんじゃないかな」  はじめて、ラムウィンドスの無表情に苛立ちがはしった。射殺しそうな目でエスファンドを見る。  そんなことは無い、なのか。余計なことは言うな、なのか。  口で言わないだけに、はっきりとわからない。  本人は真面目なのだろうし、痛いのは痛いのだろうと笑わないようにしていたのに、結局アーネストは噴き出してしまった。 「棘……棘で剣が握れない……っ」  くっくっく、と笑いながら腹を抱えてしまう。 「見ろ。握れている」  無表情となったラムウィンドスが、そっけなく言い捨てる。すかさず、エスファンドはあっけからんとした口調で笑いながら告げた。 「癇癪起こしてさっき自分の指を削ぎ落そうとしていたからな。気が短いにもほどがある」 「なるほど。つまり今総司令官殿は……弱い」  エルドゥスが口の端を吊り上げて、満面の笑みを浮かべたまま断言した。  過日の夜の、サイードとの死闘を目の当たりにしていなかったアーネストは、久しぶりにラムウィンドスの凄絶な闘志の湧き出した顔を見た。 「一人ずつは面倒だ。まとめてこい」  待っていたとばかりに、エルドゥスは破顔一笑。アーネストに抜群の感じ良さで言ってくる。 「やろうぜ!」 「ほな」  誘われたし、仕方ないなぁという(てい)で。  積年の恨みと昨晩の辛み、どちらかというと後者が重過ぎるアーネストは、剥き出しの本気を剣に乗せ、睨む。  エルドゥスとアーネストで間合いをはかる。ラムウィンドスは剣一本でしのぐ算段があるのか、落ち着き払って待っている。 (いや、待つか?)  性格上「かかってこい」と言ってすぐに来なければ絶対に自分から来る。  ここは受け身をとっておかねば、と体が危機を判断した瞬間、強烈な一撃。ラムウィンドスに重く打ち込まれた。  エルドゥスは何をしているかと思えば、感心したように見ている。  あまつさえ、力で競り合う二人を観賞するかのようにエスファンドに「どっちが強いか知りたくて」と話しかけ「わかる」などと言われている。 (わかるか!)  なんだそれはと叫びたいが、余裕はない。 「アーネスト、集中しろ」 「そういう、『俺だけを見ろ』みたいなの、嫌や。嫉妬深くてあかん」 「嫉妬くらいする。お前は俺の右腕にと思っていた男だ。誰にも渡したくない」 「やめてや、ほんっとうざい」  アーネストの闘志を挫く作戦なら抜群に功を奏しているが、姑息に過ぎる。  会話を終え、剣を打ち合わせる。若干引き気味になるのは、ラムウィンドスの足癖の悪さを知るからだ。隙あらば蹴りに足払いと、手段を選ばないで勝ちにくる男である。 ((イクストゥーラ)に)  何をしに行くつもりなのかと、問い質したい。滅ぼすのか救うのか。  (セリス)のことはどう考えているのかも。  だけど、強すぎる。無駄話の余裕がない。  打ち合う二人を見つめるエルドゥスの横に、影が落ちた。 「お前は遊んでいて良いのか」  深く、艶みを帯びた声。  さすがに軽く息を飲んでから、エルドゥスはそちらに顔を向ける。 「複数で挑むのもと思いまして」 「嘘つけ。なるべく人を動かして楽しようとしているだけだ。俺もよく、そういうことを考える」  のんびりと言われて、その凪いだ横顔を仰ぎ見る。浅黒く灼けた肌。鋭い眼差し。  砂漠の黒鷲。 「負けるぞ。助けに行かないのか」  つまらなそうに言われて、エルドゥスはハッと二人に目を向ける。折しも、アーネストの剣がはじき飛ばされたところだった。 「やっぱり、あのひと強いんだ。ちなみに、あなたと総司令官殿ではどちらが?」  言い終わる前に、がつんと頭をはたかれた。 「何が『ちなみに』だ。誰が乗せられて頂上決戦なんかする……っ」  いきなり剣を抜き放ち、容赦なく斬りかかってきていたラムウィンドスの刃を受け止めた。 「誰に刃を向けている!」 「目測を誤りました。狙いは隣です」 「白々しい嘘はやめろ!!」  怒鳴りつけながら膂力をのせた渾身の一撃を繰り出すも、ラムウィンドスは綺麗にかわす。  その上で、鮮烈な笑みを浮かべた。 「鈍りましたか、アルザイ様」 「……っ。おいそこの鬼畜とクソガキ、ボーッとしてんな。こいつをどうにかしろ!」  怒号を飛ばしたアルザイに対し、ラムウィンドスはくすりと品の良い笑みをこぼす。 「おっと。今日は敗北宣言早いですね」 「殺す」  もはや誰の制止も届かぬ凄まじさで剣を合わせる主従。  その絶技を呆然と見つめる剣士たちをよそに。 「棘抜けなくなるよ……」  アホなの、とエスファンドは一人呟き、嘆息した。
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