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【第七部】
「これなるは新年祭と秋分祭にて大王さまに捧げられし黒檀の飛行馬。同じ工房にて再現された至高の逸品。見事乗りこなした暁には、空を駆けて愛しいひとの元へとあなたを導くでしょう」
旅に出てから、幾日も経過していた。
立ち寄った三箇所めのオアシス都市の市場にて、客引きが声を張り上げての大言壮語。
行き交う人の中、肩を並べて歩いていたエルドゥスが、すかさずセリスの耳元に口を寄せて笑いを含んだ声で言う。
「騙されるなよ、お姫様。あんなものはガラクタだ。試乗だけで大枚せびられるし、飛ばなければ騎手の技量のせいだとなじられる。飛んだりするものか。誓っても良い」
ちらりと視線をすべらせたセリスは、そのまま顔をやや上向けてエルドゥスの強い輝きを放つ瞳をひと睨みした。
「そこまで世間知らずではありません。ですが……、生憎そういった冗談を軽く受け流したり、混ぜっ返すほどにもこなれてはいないのですよ、私は。あなたも私も、離れがたい相手との別れを経て、覚悟を決めて旅をしている身です。それをからかいの物種にするのは、やめておきませんか」
ほんの少し身をかがめて、セリスの言い分に耳を傾けていたエルドゥスは、楽しげに目を瞬いた。顔の下半分を覆った布が揺れていて、喉を鳴らして笑っているのがうかがえた。
エルドゥスはひとしきり笑った後、セリスの肩に肩をぶつけて、いかにも親しげに囁いた。
「はっきり意見を言うのは、あなたの美点だな。物怖じしないというのは、とても好ましい。良くも悪くもそれは、あなたの魅力だ。良い意味はそのままだが、悪い意味というのは、そういう女を屈服させるのが趣味の男もいるということだ。せっかく見目が麗しいんだ、ときには相手に隙を作らせるくらい、しおらしく振る舞う術も身につけておいた方が、生き延びる可能性が上がるぞ」
セリスは、やはり口元を覆った布の下で、くっと小さく息を呑む。
(あなたはそれを、ご自身の想い人である皇帝陛下にも言えますか?)
セリスがエルドゥスに対し、なんとも言い知れぬ感覚を覚えるのは、まさにこういった「親切な忠告」に対してだ。
たしかにもっともな内容なのだが、うっすらとした反発と拒否感も同時に湧き上がってくる。
彼はおそらく、少女皇帝にこんな「生き延び方」をすすめないように思う。皇帝として生き、皇帝のまま斃れよと、願っているのではないだろうか。
(ひとには得手不得手があり、天分もありましょう。皇帝になる方と自分を同列に考えるなどおこがましいことなのは重々承知なのですが……。それでも、ことあるごとにお前は「女」なのだからそれを意識し、使えと自覚を促されるのは、割り切れない思いがあります)
砂埃をはらんだ風が吹き抜け、セリスは目を伏せてやり過ごす。エルドゥスのことも、できればこの風のように、あまり気にかけないで過ごしていたい。
まともにやりあっては、雌雄を決する喧嘩になりかねないという、嫌な予感がするのだ。彼と噛み合わないというのは、わかっている。せめてこの齟齬を、これ以上大きな亀裂にしてはいけない。
「ここまで強行軍でした。皆さん疲れているでしょうから、今日は早めに宿で休みましょう」
一歩遅れてついてきていたナサニエルが、優しく作った声で話しかけてくる。
セリスが肩越しに振り返ると、たおやかな笑みを向けられた。その横には、このところいつ見ても憮然として機嫌のよくなさそうなアーネストが佇んでいる。視線がぶつかると、眉間に皺を寄せて見返された。
ああ、今日も怒ってる……と諦め半分にセリスは微笑を浮かべ、否やもあるはずがなくナサニエルに同意を示した。
「休みましょう。少しでもゆっくりとして、この先への英気を養うべきです。何か美味しいものでも食べて……」
言いながら、強くひきつけられたような胸騒ぎがあって、すっと遠くを見た。
いま、何かが視界をかすめた。非常に見覚えのあるひとの横顔。一度呼吸が止まってから、血流がおかしくなり、胸がドキドキと激しく鳴る。
ここにいるはずが。こんなところで会うはずがないひとの姿。
(幻……?)
セリスの視線の先を追うように、アーネストが辺りを見回す。
「何かおった?」
いつもながらのぶっきらぼうな声で問いかけられ、セリスは首を振った。見えたと思ったものは、もうどこにもない。気のせいです、と答えて歩き出す。
「行きましょう。お腹が空いていて、今にも倒れてしまいそうです」
無理矢理に笑ってみせた。
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