予兆

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予兆

「わたしね、よくわかったことがあるの。男の人というのは、剣と剣を合わせて友情を成立させることができるのよ。素敵ね」  午後。  晴れ上がった空からは盛大な光が降り注いでいた。開け放たれた窓にほど近いところにある鏡の前では、幸福の姫君が身づくろいをしていた。  普段ならば家庭教師がついて礼儀作法や学問を詰め込むのに費やしている時間であったが、今日は幸福の姫君への「求婚者」が現れたということで、予定が変更になっていたのだ。  姫の長い銀の髪に櫛を通していたマリアは、手を止めて鏡の中の姫を見つめた。 「何を見てそんなことわかってしまわれたんですか?」 「何って……、朝の。あのラムウィンドスが、アルザイ様にはとても優しかったでしょう? 練習試合みたいなもんだなって言ったときに、すごく楽しそうにしていたでしょう? それで、きっと、剣でわかりあったお友達なんだなぁって思ったの」 「ラムウィンドス様ですか? 私にはいつも通りに見えましたけれど……」 「いいえ。絶対にいつもとは違ったわ。それに、アルザイ様が年上の方だったせいもあるのかな。あのね、ちょっとだけ甘えているように見えなかった?」 「姫様は目の付け所が違いますね。あと、その、剣と剣で分かり合うのが素敵というお話はゼファード様のお耳には入れない方が良いと思いますわ。きっと、悲しまれますから」  頬を染めて力説するセリスをすげなくあしらって、マリアは手を動かすのを再開する。その仕草に、セリスは小さな違和感を覚えた。 (マリア……?)  まるでラムウィンドスみたいにそっけない。セリスは軽口を続けられず口をつぐんだ。  * * *  自称砂漠の黒鷲ことアルザイは、現れ方こそとんでもなかったが、朝食の席でゼファードが説明してくれたところによると、西の砂漠における有力なオアシス都市の支配層にある人物とのことである。  さらに、近いうちにいくつかの都市を事実上束ねる「連合の首座」の地位につく。イクストゥーラ王国としてはあまり無下に扱うことができない相手らしい。  しかし、求婚の申し入れがあろうと、姫はまだ公式な披露すら済んでいない身。  よって、すべてを出し抜いて他国のアルザイに公式に引き合わせることはできないとゼファードが突っぱねた結果、妥協案として内々のお茶会が催されることになった。  ゼファードはセリスに対して、不本意であることを隠しもせず念押しをした。 「本当にね、気が進まないならそう言ってくれて構わないよ。姫は病に臥せってとてもベッドから出られたものではないと言ってくるから」  苦しい表情をしたゼファードは、切々と訴えかけてくるが、セリスは微苦笑を浮かべる。 (すでにふつうに歩き回ったあげく、剣を構えている姿まで目撃されてしまっています。その説明では無理がありそうです) 「いますぐ伴侶として意識できるかと言えば難しいと思うのですけれど……。わたし、あの方とお話してみたいと思いましたわ」  正直な気持ちを告げると、ゼファードは実に悲しそうに顔を歪めた。  見ているセリスまで辛くなるほど痛々しい表情だったので、何か悪いことを言ってしまったかしら、とセリスはさらに言葉を重ねた。 「もしこれからもたくさんの方に会わなければならないのだとしたら、少しずつ慣れておいた方がいいのではと思ったのですが」 「姫、それはね、『すれる』と言うのだよ。私はそういう風に男慣れしていくのは反対だな。むしろ男慣れなどしないで欲しいね。姫は今のままでいい。今のままがいい」 「男慣れといいますか、お客さま慣れといいますか。わたし、本当に、いままで限られた方にしかお会いしたことがないので……。異国の方とお話したことなんて、ないんです」  気が進まないらしいゼファードに対して、セリスは自分の考えをなんとか表現しようとする。ゼファードは少しの間考え込んでいたが、やがて小さく頷いたのだ。 「仕方ないね。日の高い時間、お酒の入らない席で、保護者同伴。あとは……開けた場所かな」  それを聞いたセリスは、胸の前で指を組み合わせて、満面の笑みを浮かべて言った。 「つまり、ピクニックですね!」 「ん? ……姫は、ピクニックがいいのかい?」 「王宮の裏の森に行ってみたいんです!」 「森か。そうか、姫は離宮にいた頃、よく森で遊んでいたと言っていたね」 「ええ。子どもの頃はあの森が王宮にまで通じているとは知らなかったんですけど。そのことを知ってから、実は何回か王宮へ行こうとしたことがあったんです。結局、途中で引き返してしまったんですけど」 「おや。離宮を抜け出す機会を不意にして良かったのかい?」  悪戯っぽい視線を向けられて、セリスは笑みを浮かべたまま目を伏せた。 (子どもの頃の脱走事件は兄さままでは伝わっていないのね。わたしは外に出たかったけど、訪ねてくるあのひとを待とうとあのときに決意したから――)  わずかに逡巡した後に素早く続けた。 「わたし、離宮で待っていたんです。もしわたしがいない間にわたしを訪ねてきた人がいたら、困るでしょう?」  ゼファードはそっと横を向き、実に感じ入った様子でしみじみと言った。 「そうか、姫そんなにお客様を楽しみにしていたのか。そうだよね。離宮のようなところに閉じ込められ、変化のない生活をしていたら、そういう気持ちにもなるだろうね。悪かったよ、アルザイ殿下なんて姫にふさわしくないと思うあまり、姫の楽しみを奪ってしまうところだった」  こうして午後のお茶会は森へピクニックという、実に健全な内容で開催される運びになったのである。
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