【第七部】

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 生きるか死ぬかの世界で、一度離れ離れになったらもう二度と会えないかもしれない。  そのつもりで、半身をもぎとられるかのような痛みとともに別れてきたのに。  顔を見た瞬間、姫、と耳の奥で彼の声が響いた。  実際の彼は、みすみすセリスの正体を周囲にさらすような迂闊な言葉は口にしない。  視線がぶつかって見つめられてしまえば、二人だけの夜に「セリス」と、かすれ声で甘く囁かれたことまで思い出されてしまう。  世界に彼と自分の二人だけしかいなくて、互いに強く求め合い、そのまま朝が来なければ良いと切に願った。あの夜。 「会うのは初めてだが、噂は耳にしている。太陽の遺児、この時代にアスランディアが生き延びてていて、名乗りを上げたと」  野太い声が空気を震わせる。  強い風と光に素顔をさらして、太陽を背負った青年ラムウィンドスは、常のように泰然として凪いだ表情でバルディヤを見つめていた。  多くのひとの集まった場で、堂々として周囲を従える態度、不敵な発言をする男。それがどういった立場の相手であるかは、おのずと知れるというもの。  金色に輝く瞳を細めて、ラムウィンドスは口を開く。 「ラムウィンドスだ。あなたがここの頭目だな。会えて嬉しい。手合わせを」 「やる気だな!」  バルディヤが噴き出し、セリスはこの空気に圧倒されている場合ではない、と思い知った。 (さらわれて、素顔を見られて、蹴られたりうずくまったりしていた私がこの事態を引き起こしてる……。「会えて嬉しい」ということは、ラムウィンドスは会うつもりだったということ? この二人の出会いそのものは悪くないはず。悪くない結果に、しなければ……!)  彼が激情家であることは、セリスとて知っている。カッとなるときはなるのだ。表情が空恐ろしいほど変わらなくても。  それだけに、対峙したバルディヤに本気で喧嘩を売っているのは間違いなく。  砂埃の舞う風の中、白金色の髪をなびかせて、爽やかさすら感じさせる落ち着いた声でラムウィンドスが言う。 「俺としては、あなたことはぜひとも殺したい。だが、話し合いたい気持ちもある。草原との戦いが避けられぬいま、使える人間は生かしておくべきなのだ」 「手合わせで、勢い余って殺した場合は?」 「死んだ側の運命がそこまでだった。草原との戦いには必要のない人間だった。それだけだな」  淡々とした会話を聞きながら、セリスはすべての痛みを気合で抑え込んで立ち上がろうとした。  横に、ふっとひとの気配。 「『ぜひとも殺したい』って初めて聞いたな。あれが太陽の流儀か。丁寧なわりに、結局殺したいってのを隠さないで、どこで折り合うつもりなんだ」 「エル……」  本名で呼びそうになり、セリスは言葉を飲み込んだ。  視線を流せば、へらへらと笑ったエルドゥスが手を差し伸べている。  その手を取って立ち上がりながら、セリスは痛みに顔をしかめつつ決然と言った。 「止めます」 「へぇ?」  余裕いっぱいに微笑まれる。セリスはその手を離してラムウィンドスの元へ向かおうとした。だが、脚がふらつき、エルドゥスに腰をとられて抱き寄せられてしまう。 「危ないな。どこか怪我を? というかその顔はさすがに隠さないと、肌が日差しにやられるぞ」  セリスは「はなしてください」と突き放そうとしたが、今はその押し問答の時間も惜しいと思い直す。腹部の痛みに脂汗を浮かべながら、今にも殺意を振りかざしそうな彼の注意をひけるだけの音量で、名を呼んだ。 「ラムウィンドス。やめて」  一瞥もくれないことを覚悟していたが、ラムウィンドスは振り返った。そして、状況を把握。  ひゅっ、とエルドゥスが短く息を呑んだ。 「どうすんだこれ、すっげぇ睨んでんぞ……!」  それでセリスも、ようやくいまラムウィンドスの目が何をとらえたか思い当たる。エルドゥスに抱かれたセリスの姿。  とても他人事のように、愛はあるんですね、と理解した。疑っていたわけではないが、出会い頭に威圧されて、自分に落ち度もある申し訳無さから動揺してしまっていたが、愛はある。  すっと息を吸い、セリスはエルドゥスに対して、笑顔で告げた。 「そのまま睨まれていてください。場合によっては、私のことを人質にしてラムウィンドスに戦いを諦めさせても良いです。とにかく、頭目とラムウィンドスの殺し合いだけは止めましょう」 「開き直りすぎだろ……っ」  ほんの一瞬、ラムウィンドスが瞑目した。すぐに決断を下したらしく、バルディヤに向き直る。  いまにも物騒な一言を放ちそうな顔をしていたが、取り巻く人々の間で「アスランディアさま……!」と声が上がったことで、時が止まった。 「アスランディア様が生きておられた……!」  その名を口にするのは、かつての滅びの国の民なのか。数人が押し合いながら囲みの前へ前へと出てきて、ラムウィンドスの姿を見るなり崩れ落ちるように地面に膝をつき、額づく。  まるで、荘厳な神を讃えるかのような仕草。 「……まだやる気か? 俺ァさめた」  非常に面倒くさそうにバルディヤが言い捨て、ラムゥインドスもふっと息を吐き出した。 「では手合わせはまたの機会に。改めて、話し合いを申し込みたい」 「わかったわかった。いま疲れて、腹も減ってるんだ。食いながらでいいか?」 「了承した」  緊張の糸が切れた空気の中、短いやりとりで会談は決定し、バルディヤはそばにいた者に「おい、あれを案内しろ。丁重にな。どっかの王族らしいから」と慇懃無礼なことを言う。  気にするラムウィンドスではなく、そちらには口を挟まないまま、セリスの方へと向かってきた。 (あれ、まだ怒ってる?)  無表情過ぎる。  セリスはきょとんとしてしまっただけだが、殺気を感じたらしいエルドゥスがぱっとセリスの体を離した。わ、と小さく悲鳴を上げたときには、セリスはラムウィンドスの腕に抱き上げられていた。  間近な距離で顔を見合わせると、全然まったく愛想絶無のラムウィンドスが、低く呻くような声で告げた。 「お仕置きされますね? 俺が怒っているのはわかっているでしょう。怒っています」 「ものすごく?」  馬鹿なことを聞いてしまった。ラムウィンドスは、重々しく頷いて、その問いを肯定した。  
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