【第七部】

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 この世で一番好きな相手とはいえ、近すぎる。 「大丈夫ですよ、ラムウィンドス。歩けますから」  セリスはとっさに腕の中で抗ったが、無駄だった。無言のまま腕に力を加えられて、身動きはおろか呼吸さえも危うくされただけであった。  案内すべくそばまできた少年に対し、ラムウィンドスは温度を感じさせない声で告げる。 「部屋を貸してください。この方の怪我の具合を見ます」 「は、はい。ご用意します。どうぞ」  少年は明らかに緊張しており、何かを言い返すということもできないように見えた。 (自警団のための宴が準備されていて、ラムウィンドスは同席を約束していましたよね?)  時間を浪費している場合ではないのではと、セリスとしては気が気ではなく、思わず可能な範囲で身動ぎをしながら訴えかける。 「大丈夫ですよ、本当に。僕の怪我は打撲程度ですから、あなたのなすべきことを優先してください」 「目の前に」  冷然と遮られた。ラムウィンドスはセリスを抱え直して、砂漠の冬に降る雪よりもなお冷たい声で囁きかけてきた。 「目の前にあなたがいて、他に優先することなどありません」  その言葉に、体から力が抜けかける。自由を奪われ、強引に運ばれる状況だというのに、彼に身を任せる楽さに寄りかかってしまいそうになった。  セリスは、溶け崩れそうな己の根性を奮い立たせ、甘えを断ち切るべく明るく言った。 「私を見捨てた方が良い状況なら、当然見捨てますよね? いまなんて、そのへんにエルドゥス様もいますし、見捨てても死ぬ心配はないわけですから、私のことはそのへんに捨て……ごめんなさい」  たとえば、絶体絶命の状況でセリスが人質に取られてしまった場合。  あるいは、分かれ道の右に急いでいるときに、左側でセリスが罠にはまっていると情報が入った場合。その他、見捨てた方がより多くの犠牲を回避できる状況であれば、ラムウィンドスは上に立つ者としてセリスを切り捨てる。  そのつもりで言ったのだが、禍々しさすら感じさせる鋭いまなざしを向けられ、言い終えるより先に謝った。怒りの度合いがさらに深まったのを、ひりひりと感じた。  目指す建物にはすぐに着いた。  射撃用の見張り塔(フスン)のある石造りの邸宅で、周囲を木々に囲まれている。外観からして大きかったが、中も広く緑豊かで見事な中庭(スール)を横目に回廊を進むことになった。  案内の少年は、途中ですれ違った女性に軽く言付けてから、廊下沿いの奥まった一室へと通してくれた。入り口には厚い布を垂らしており、部屋の中には絨毯やクッションといった最低限の調度品がある。少年が場を辞する前に、磁器の水差しを持った女性が現れ、部屋へと置いて少年とともにその場を去った。  二人残される形になり、セリスは腕に抱かれたままラムウィンドスを見上げる。 「怪我は本当に、血が出るようなものではないんですよ。蹴られて床に転がっただけで、痛みもだいぶひいてきましたし……あの、見すぎでは? 怪我を見るんですよね。私を見ている場合では」 「よく喋りますね」  黙った。 (うん……。緊張したせいで喋りすぎてる。他にどうして良いかわからなくて。口が軽くなっているというか)  会うつもりもなく、会えるとも思っていなかった場での再会。気を抜くと、すがりついてしまいそうだ。そして自分は、弱音を口にしてしまうのだろう。離れたくない、と。  そうならないために、距離を置くようなことばかりを口にした。  会いたくなかったですか? そう聞かれても仕方がないほどに。  その想像はセリスの心を大いに傷つけ、セリスはたまらなくなってやはり無駄口を叩いてしまう。 「私が喋らないと、ラムウィンドスだって、喋らないでしょう。二人で黙っていたいんですか」 「そうですか? どうして俺が喋らないと」 「む、昔からそうですよ、あなたは。なんでも一言、二言で済ませて。何に対しても興味があるのか無いのか、そもそも何を考えているのかもわからなくて」  売り言葉に買い言葉とはよく言ったもので、セリスは闇雲にぽんぽんと言い返してしまう。そのセリスからラムウィンドスはまったく目をそらさず、低い声で尋ねてきた。 「本当にわかりませんか。あなたを見つけて以来片時もこの腕から逃さない俺が、いま何を考えているか」  瞳を細めると、ほんの少しセリスから視線を外す。その目が唇を見ていると気付いて、セリスはささやかな抵抗を兼ねた身動きをやめた。  わからないはずがない。  ふっ、とラムウィンドスは小さく笑って目を閉じ、そのままセリスの唇に唇を重ねた。
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