向けられたナイフ

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向けられたナイフ

「姫様、それは本当にご自身でお持ちになるのですか。後ほど、お茶とお菓子は届けてくださるそうですが」 「これだけは、森に行くときは欠かせないのよ」  * * *  セリスが準備を終えて奥宮へ向かうと、すでにラムウィンドスとアルザイが待っていた。二人とも背が高いので、並んで話していると廊下の端からでもすぐにわかる。 「やっぱりあのお二人、とっても仲が良いんだわ」  窓から差し込む光を浴びている二人を見ながらセリスが呟くと、マリアは気の無い相槌を打った。 「本当に仲がよろしいなら、朝みたいなことは勘弁していただきたいですね」 「マリアってば。あれがお二人のお友達付き合いなのよ」  話しながら厚い絨毯を踏みしめて近づくと、ラムウィンドスが先に気付いた。眼鏡の奥から鋭い視線を投げかけてくる。  ほぼ同時に顔を向けてきたアルザイは、豪快に破顔した。 「おお、姫か。待ってた!」  大きく手を振りつつ歩み寄ってくる。  待たせすぎたのかと、セリスは慌てて小走りに近寄った。 「お待たせしました……あっ」  アルザイの歩幅は、セリスの目算よりもかなり大きく。  あっという間に距離をつめられ、突然両側からわき腹のあたりを摑まれて軽がると持ち上げられてしまった。  一息に、背の高いアルザイを見下ろす位置まで掲げられる。  満天の輝きをぎっしりと詰め込んだような、黒瞳。出会ったら最後、逸らせない目だ。 (この方の立ち姿が異様に目をひくのは、この熱量のせいかもしれない) 「なんだ。ずいぶん可愛らしい姫だとは思っていたが、子どものように軽いな。それでは丈夫な子を生めないぞ。ちゃんと食ってんのか?」  いままで聞いたこともないような、早口で粗雑な話し方。  持ち上げられて動転したのと、勢いに気圧されたので、セリスは返答につまる。  間をおいて、なんとか頷く。指がわき腹にがっつりと食い込んでいて、痛い。 (怖い)  視界で鋭利な輝きが閃いた。 「そらねーだろ」  笑いを含んだアルザイの声。  無言のラムウィンドスがアルザイの顔面にナイフを突き立てていた。脅しではないらしく、アルザイの頬には小さな血の玉が浮かんでいる。 「とりあえずそれを下げてくれないと、姫は下ろせないぞ」  口調は軽いが、アルザイが緊張しているのが触れた指の先から伝わってきた。  セリスもまた息を殺してラムウィンドスを見た。セリスの位置からは、どんな顔をしているのかわからない。ただ、アルザイの瞳には先程までの気安さが失せている。よほどの表情をしていると察せられた。  ラムウィンドスはナイフを少しだけ遠ざけた。まだ一振りで目を抉れそうな距離であることには変わらない。アルザイはナイフを見たまま、ゆっくりとセリスを床に下ろし、解放してくれた。 「もういいだろ」  アルザイは鷹揚な仕草で、両手を開いて肩の高さまで上げる。ラムウィンドスは、セリスとアルザイの間に身体を置いて、ナイフをようやく下ろした。やれやれ、とアルザイは声に出してため息をついた。  その次の瞬間、ラムウィンドスのナイフを持つ右手の手首をひねり上げた。  ナイフが手を離れる。ラムウィンドスは空の左手でそれを受け止めると、そのままの動作でためらわずにアルザイの脇に突き刺した。そのようにセリスには見えたが、実際は、それを予期していたらしくアルザイは籠手で受けていた。 「んっとに、危ねえなあ。お前、俺相手でも一切容赦ねーよな」  にやにや笑いながらアルザイは身体ごと引く。大柄だが、動作は静かで俊敏だ。ラムウィンドスは、ナイフを右手に持ち替えた。 「警戒しすぎだ。すげー顔してるぞ。怖いから、マジで」 「俺は姫の身辺を任せられている。相手が誰だろうが、おかしな真似をしたら殺すまでだ」 「なるほど。よほど大切なんだな、幸福の姫君が。ゼファードがお前を護衛につけたのがわかる気がするよ。これだけ強くてお役目忠実で、しかも安全な男はいないからな」  安全な。  そういえば、ゼファードは最初に会った日もそんなことを言っていた。ラムウィンドスは世界一安全な男なのだと。そのときはなんとも思わなかったはずなのに、今改めて耳にすると、妙に気に掛かった。 (「安全な」とは、どういう意味?) 「……まったく。どうして、私が少し遅くなったくらいで、こんな空気になってるんだろうねえ。遅れるのがいけないみたいだけど、私は時間通りに動いているんだが」  ゼファードが、いつもながら少し迷惑そうで、それでいておどけた軽口を叩きながら現れた。  誰も返事をしようとしない。  一拍遅れてそのことに気づき、セリスは自分がとりなす必要があると悟った。 「お二人は、剣と剣でわかりあっていたのだと思います!」  ゼファードは僅かに眉を寄せて考えるような素振りを見せたが、「そうかい」と笑みを広げて頷いた。
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