深い森の奥で

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 セリスは一度目を瞑ると、力なく首を振った。 「それはダメ。絶対にダメ」  ここで、何故と聞かれたらどう答えればいいのだろう。自問した。答えは得られなかった。胸の中には何かがあったが、まだ形にはなっていなくて掴めなかった。  幸いなことに、ラムウィンドスは何も聞かずに、手を離してくれた。  セリスが顔を上げたときには、少し離れた位置に立っていた。  一瞬だけ視線が絡んだ。どちらともなく顔を逸らして、断ち切った。 「戻るぞ」 「ラムウィンドスは何か用事があったのではないのですか」  闇雲に進んだにしては、いやに確信に満ちて進んでいたように見えた。現に、こうして開けた場所にたどり着いている。  ラムウィンドスは遠くに視線を投げて、無感動な様子で言った。 「別に。昔よくこの辺で修業したなと思い出しただけだ」 「修業……。ここの地形に強さの秘密が……」 「何かまた、おかしなことを考えているだろう。ごく普通の修業だ。ただ俺は強くならなければならなかったから、昼間の時間だけでは足りなかったんだ」 「どうして、強くなりたかったの?」 「それは、そうだな。姫が『選ばなければならない』と同じような理由じゃないか。『なりたい』とは少し違うかもしれない」  言い過ぎたことを悔いるように、ラムウィンドスは厳しい横顔をさらして口を閉ざした。  そして、先に立って歩き出した。  セリスがついてこないことに気付いたのか、振り返る。セリスが何か言う前に、いつものように泰然自若としてきっぱりと言い切った。 「あの頃の俺は、『強くならなければいいだろう』と言われても納得できたとは思えない。さっきは俺が悪かった。姫は姫の務めを果たすように」 「……はい」  セリスが頷くと、ラムウィンドスも真面目くさった顔で頷き返してきた。そして、少しだけ口調を和らげた。 「では、行くぞ。王宮から焼き菓子が届けられるはずだ。食いっぱぐれるぞ」  セリスは、にこりと笑ってから、腰のベルトにさげた袋に手を伸ばしてさっと林檎を取り出した。 「何があってもいいように、わたし、森には林檎を持っていくって決めてるんです」  ラムウィンドスは見たこともないものを見るように林檎を凝視した。やがて、小さくため息をついた。 「そのままでは食べられないだろう」  むっとしたセリスは顔の高さまで持ち上げると、唇を近づけて噛り付いた。さくっという良い音がして、甘酸っぱい香りが口の中いっぱいに広がる。それを甘い汁ごと飲み込んで、ラムウィンドスに目を向けた。 「林檎って、そのままで食べるとおいしいの」 「……否定はしないが、王子の前ではまずい。『姫、それはいけない』とかなんとかうるさいはずだ。俺が預かる」  呆れた様子で言われてしまい、セリスはしょんぼりとして食べかけの林檎を渡した。  たしかに、離宮にいた頃も隠れて食べては怒られたものだ。  しかし、手の中の重みが消えたと思ったら、さくっという良い音が聞こえて、耳を疑った。  顔を上げると、ラムウィンドスが食べていた。みるみる小さくなっていく林檎を呆然と見つめ、ほとんど芯になってしまってからセリスは震える指でそれを示した。 「預かるって言ったのに……」  ちらり、と目を向けてきたラムウィンドスは、行儀の悪い所作で芯だけになった林檎を遠くに投げた。完食していた。その上で、実にそっけなく言った。 「持って帰るわけにはいかない」 「でも、わたし、まだ一口しか……」 「相変わらず、くいしんぼうだな」  口の端をつりあげて笑ったラムウィンドスは少し意地悪そうだった。もっとも、その笑みは食べられた恨みが見せた幻覚かもしれない。ラムウィンドスは滅多に笑うことはないのだから。  そのまま背を向けられて、セリスは慌てて追った。 「だって、だって、滅多に食べられないのよ? お行儀が悪いって怒られて!」  まったく振り返る気配がない。ここは食べ物の恨みはおそろしい、ということをしっかり教えてあげなければならないと思い、セリスは必死にラムウィンドスを追いかけた。見失ってはならないと。  ふと、記憶にされていた蓋がずれた。何かを思い出しかけた。  木立の間に消えた誰かのことを。あまりに早くて追いかけることもできなかった。  しかし、このときは目の前のラムウィンドスを追いかけるので精一杯だった。  浮かびかけた記憶は、すぐに沈んでいってしまった。
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