知らない言葉

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知らない言葉

 まるで自分の城であるかのように進むアルザイに連れられて、セリスは行動範囲である居住区域とは離れた一角にやってきた。  人の気配のない廊下。  静まり返った部屋の扉を軽く開くと、覚えのある匂いがした。アルザイに導かれて、中へと足を踏み入れる。  壮観。  見回して、驚いた。背の高い書架が何台も並んでいて、ぎっしり本が詰まっている。 「図書室……」  離宮にもあったが、規模が全然違った。  人影はない。  セリスはアルザイの存在を忘れ、整然と並んだ書架の間を進んだ。  端から見ていくと、これまで目にしたことがないような本がたくさんあることに気付いた。  離宮に揃えられていたのは、子供向けの絵が多めの本の他に、薬草の本や、哲学者の言葉、医学や語学といった内容のものに限られていた。  以前離宮に住んでいた人が揃えたものと女官には聞いたが、里帰りしたマリアがときどき持ってきてくれるような物語の類は一切置いていなかった。  マリアは、「姫さまは離宮から出ることができないのだから、本くらいもっとたくさんあってもいいでしょうに」とよく言っていたが、いくら王宮に頼んでみても増やされることはなかった。勉強に必要なだけ揃っていればいいだろう、というのがいつもの回答だった。  実際、離宮で習っていた科目に関する本は十分すぎるほどにあり、中には難しくて読めないものもあったので、セリスとしてはあまり不平も言えなかった。増やしてもらえないのは、読み終わっていない本があるせいだと思っていた。  だが、こうして膨大な数の本を目の当たりにしてしまうと、その自分の考えが疑わしくなってくる。  見たことのない本が多すぎる。  まるで、離宮の図書室がここの一部であったかのように思えた。ただでさえ隔離されていたというのに、それでは知識がさらに偏ってしまいそうに思える。  王宮で教育を受けるようになってから、こんなことも知らないのかと驚かれることもたくさんあった。教師達は、セリスは「特殊な環境下で育ったのだから、仕方ない」と納得しようとはしているように見えた。  しかしときどきその言葉の端々に冷たいものが交じるように感じることもある。  そのたびに、セリスは申し訳ないような情けないような気持ちになった。決まって言われる文句もまた、苦痛でしかなかった。 「姫のお務めは、正しい伴侶を選ばれることですものね」 (まるで、「あなたに求められているのは、それだけだから」と言っているようなもの……)  暗い気持ちになりかけて、セリスは慌てて首を振る。  離宮で暮らすのは仕方の無いことだと受け入れていたはずだ。  それに、教育を受けられなかったわけではないのだし、本だってあったのだ。 (難しいことはあまり頭に入らないと、怠けていたのはわたし自身だ。何度も、図書室の本を全部読んでみようと思ったけれど、そのたびに挫折して、結局絵本を開いてしまっていた。悪いのは全部自分なのに、人を責めてはいけない)  王宮に来てから、自分には知らないことがたくさんあるのだと何度も思い知り、そのたびに少しずつ気持ちが負けかけていたのだ。そんなことではいけない。  幸福の姫君は、いつも笑顔でなければならないのだから。  セリスは書架の間をめぐった。端から見ていては、いくら時間があっても足り無そうだったので、手近な一冊を抜いてみる。 「……歴史」  表紙の単語を、声に出して読んでみる。  知らない。  何について書かれた本なのか見当もつかない。  横に、アルザイが立つ。 「そうだ。姫にいま一番足りないのはそれだ。ゼファードも陛下も、姫にその情報を与えないつもりだ」 「わたしに、情報を、与えない?」 「まず読んでみろ。自分が何を知らないか、知るんだ」  アルザイの声は、今までになく真剣だった。  セリスは小さく頷き、表紙を開いてみる。目次を追った。知らない単語ばかりかと用心しながら。だが、幸いなことに知っている言葉もたくさんあった。その中に、とても馴染み深い言葉を見つけてセリスは笑みを浮かべた。  アスランディア  擦り切れるほど読んだ絵本で見た言葉だった。  王宮に移るときにその本を置いてきてしまったのを後悔していたところだったので、これは嬉しい出会いだった。セリスはそのページを開いてみた。  字は細かかったけれど、読めないことはない。  セリスはその場にしゃがみこむと、もはやアルザイの存在も忘れ、夢中で文字を追い始めた。  アルザイは顔をしかめてセリスを見つめていたが、その場に無造作に腰をおろすと、目を瞑った。
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