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アルザイにしがみつく腕に力をこめながら、ゼファードは囁く。
「……やはり、あなたは迷わないんですね。私を、この国を滅ぼすことを」
「旗印にすべく、偽の『幸福の姫君』を仕立ててまで戦争の準備をしているような国だ。背中を見せたらこっちがやられる」
「次の戦争には、すべての犠牲を背負って倒れるアスランディアもいないことですし、ね。後ろから刺されてとっくに死んでしまいましたから」
「かつて太陽の国に嫁いだ『幸福の姫君』イシス様は、本物だった。でも、セリスは違う。いっそ気の毒なくらい普通の姫だ。それでいて、敏い。情報から隔離して、過去を知らせずあんな育て方をしたのに、自分が『選ばれた特別な人間ではない』ことに勘付いている」
「本当の『幸福の姫君』は、先の大戦の時代に現れ、すでに亡くなっています。でもあの方は本物だったから、伝説の残滓はまだそこかしこにある。それで十分なんです。要は次の戦争のとき、兵たちにこの国には『幸福の姫君』がついていると思わせることが出来れば良い」
アルザイはゼファードの腕を力任せに外すと立ち上がった。頬を歪めるように笑い、陽気な調子で言う。
「考えてみたことはないのか? 月の娘は太陽の息子の手をとる。それが一番自然だと」
「絶対嫌だ。冗談ではない。セリスはあいつになんかやらない」
身体を起こし、床に座ったままソファに寄りかかったゼファードは、目を細めて立ちはだかる男を睨みつける。
「わかった。お前がラムウィンドスを好きなのはよくわかった」
「何もわかっていない。あいつを好きなのではなく、姫を渡す気がないだけです」
「わかったから、とりあえずその髪をいい加減なんとかしろ。銀の髪はイクストゥーラの王には必要だ。それに、そもそもあいつはもう気にしていない。姫の髪を見ても、自分を押さえていられる。拘ってるのはお前だけだ」
ゼファードは苛々とした仕草で髪をかきむしった。そして、聞こえよがしな舌打ちをしてから立ち上がった。
「忠告、受け取っておきましょう。たしかに、だいぶ傷んでいますから」
少し前までの弱気が嘘のように高飛車に言い放つと、頬に落ちてきた髪を指でつまみ上げた。
「姫の麗しの銀髪がまぶしいよな。お前も染めてなければ、それは見事な月の王だっただろう」
「うるさい」
切り捨てるように言ってから、ゼファードはソファに腰を下ろした。
高杯を引っつかむと、目を瞑って飲み干す。アルザイは口元に笑みを浮かべてそれを見下ろした。そのままドアに足を向ける。数歩進んでから、引き返してきた。
「面倒を見てやるのも、これで最後だぞ」
呟いて、ゼファードの手からグラスを取ると、崩れ落ちそうな身体を抱き上げた。今度はぐずぐずと喋りだす様子もない。
寝台に向かい、横たえて靴を脱がせる。完全に寝てしまっているのを確認してから踵を返した。ばりばりと頭をかいてから、ほとんど手付かずの酒瓶を渋い顔で眺める。やがて一人呟いた。
「そういうわけなんだよ」
ドアが音もなく開き、銀の髪を揺らしたセリスが顔を出した。
顔色はひどく悪かったが、アルザイを見つめる目の光はかつてないほどに強かった。
眠るゼファードをちらりと見てから、アルザイへと視線を向ける。
「本当の『幸福の姫君』はもう亡くなっていて、わたしは選ばれた者ではない。……でも、イクストゥーラは『幸福の姫君』を必要としている。これから起きる、戦争のため。そのために、わたしという存在が、つくられたという意味でしょうか」
「そのとおりだ」
「そして、アルザイ様はラムウィンドスを連れていく……どこか遠くへ。戦火の渦巻く地へと」
「別れは済ませたか」
思いがけないほどに、アルザイの声は優しく夜気に溶けた。
セリスは目を伏せてうつむき、「はい」と答えた。
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