【第三部】 熱砂の国の旅人 異国へ

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【第三部】 熱砂の国の旅人 異国へ

 砂漠の諸都市は、緑のオアシスを起点として、地上をつなぐ細い道と地下水路によって結ばれている。  地下水路(カレーズ)。  水に恵まれぬこの地で、人が生きていくための命綱。 「イクストゥーラにおいて、オアシス諸都市連合は『砂漠の国』との認識ですが。その広大な土地を東西に分けて考えた場合、東側は砂の砂漠であるのに対し、西側は『土の沙漠』。()()は不毛の地ですが、()()は灌漑次第で農業が可能とのこと。東西で開発が進められている地下水路(カレーズ)は、東側では『生存及び農業の前提条件』として進められているのに対し、西側では『農業収穫量の増大』と、意味合いの違いがある。現在、オアシス諸都市を束ねている連合主・アルザイ様の本拠地は西側。山麓部からの導水に成功した首都マズバルは他都市を突き放す豊かさであると。たしかに、緑が多い……」  教科書を読み上げるようにスラスラと言葉を紡いでいた少年は、そこで一度口をつぐんで辺りを見回した。  マズバルの市街を貫く目抜き通りは、プラタナスの並木道となっている。  鬱蒼と緑が茂り、涼しい木陰で品物を広げて商う者、串刺し肉や果実を浮かべた水の屋台が並ぶ。そこを行き交う人の量は、他都市と比べて明らかに多い。 「豊かですね……。これがアルザイ様の国なんだ」  人々の話し声や子どもたちの笑い声が絶えることがなく耳に届く。 「あんまり立ち止まってると、田舎者丸出しやで。カモられるわ」  少年にぴたりと張り付くように立っていた蜜色の髪の青年が、油断なく周囲に視線を滑らせつつ小声で警告を口にした。 「そうですね。今日の宿を探しましょう」  少年が頷き、二人は目抜き通りをゆっくりと歩き出した。  人目をひく二人組である。  少年は、顔半分を布で覆い、髪も白の布でまとめている。それ自体は、日差しの強いこの国ではさして珍しい装いではない。晒しているのは、長い睫毛に彩られた夢見るようなまなざしのみ。額にわずかにこぼれた髪は銀。華奢な体躯で、もとは白であったと思われる薄汚れた旅装が男物でなければ、少女と判別の迷うなりをしている。  一方の青年は、顔を隠すことは一切していない。頭に巻き付けた布からは蜜色の髪がこぼれている。強い日差しによって髪はわずかに傷んではいたが、青年の美貌を損なうことはなかった。鼻梁の通った秀麗な顔立ちは、整い過ぎているがゆえに一見すると女性とも男性ともとれる繊細さがあったが、着古した旅装からでも知れる鍛え抜かれた身体が、彼を男性に見せる。 「お腹すいてるよな」 「そうですね。何か美味しいものを食べましょうか」  青年が声をかけると、すぐさま少年が弾んだ声で答えた。 「串刺し肉と、パンの薄焼きに野菜を挟んだものがあった。あとはミント水で」 「やっぱり、目を付けていましたね」  少年が屈託なく笑う。青年は艶やかな笑みを浮かべて、少年の手袋に包まれた手を取った。 「離れたらダメやで」  青年の青の瞳に真摯な光を見て、少年は黙って頷く。  どうあっても人目をひく二人旅を続けてこられたのは、ひとえに彼の用心深さのお陰と知るからだ。   今も、随分視線を感じている。 「旅をしてつくづくわかったんですけど……、アーネストの美貌ってかなり『特殊』ですね」 「今更やな」 「ずいぶん長いこと旅をしてきましたけど、一人も会いませんでした。アーネストみたいな人。男性をほとんど知らない僕の目は、そんなに信用できたものではないですけど。でも」  ちらりと、青年、アーネストが肩越しに振り返った。  出会った頃は全然気づいていなかったのがそら恐ろしく感じるほど、蠱惑的な視線を投げて笑っている。 (あの目は、きっと面白がっている。こういう時に、何か気の利いたことが言えたら良いのですが) 「美形なんだなって。『傾国の』というのは、アーネストのことを形容する表現じゃないかと」  精一杯の表現だったが、アーネストは目を細めて、口の端を釣り上げた。少しだけ人の悪そうな顔になる。 「オレなんかどれだけ長いこと姫さまと一緒にいても、あの人には敵わん。国どころか女の一人も傾かんわ」 「うーん? アーネストの場合は、そもそも女の人を傾ける気はないんじゃないですか」  これまで二人ではるばる旅をしてきて、アーネストにその気があればどうにでもなっただろうという場面は老若男女問わずあった。  思わせぶりな誘いから、力づくの夜襲まで数限りなく。  それを、容赦なく断ち切り続けてきたのは当のアーネストである。  誘い文句には「それはオレに言ってる? それともまさか、オレの連れに対して言ってんの?」と笑顔の下に恐ろしい気配を漂わせ。  夜襲には問答無用で剣で応えて。 (連れ(わたし)、という邪魔者がいなければもっと積極的に来た人もいるだろうし……。『傾かん』というのは、さすがにアーネストの思い違いです)  アーネストから言葉はなく、無言のままつないだ手にはぎゅっと力が込められる。  そうやって、アーネストはずっと、少年に扮したセリスを守り続けてきてくれた。
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