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オアシスの少女
頭にまきつけた布から零れ落ちた豊かな黒髪と、漆黒の瞳。褐色の肌。薄汚れたマントを身に着けていて、身体の線は判然としないが、その声音は高く澄んだ少女のものだった。
年の頃はいくつくらいだろう。
端正な顔だちには幼さが残っているようにも見えるが、瞳の老成具合が印象を鈍らせている。それでも、二十歳には届かないだろう。
「少し、お話をしませんか?」
少女は今一度繰り返した。
セリスはちらりと横を伺う。
アーネストが、明らかに面倒くさそうな態度をとっているのがひしひしと伝わってきた。
(絶対に断る)
ただでさえ、お荷物のセリスを抱えているのだ。その上で、こんな訳ありな様子で話しかけられても、アーネストが「はい」と言うはずがない。
セリスは先手を打つことにした。
「わかりました。ぜひ」
「……あんなぁ……」
呆れたように、アーネストがぼやく。
気にしたら負けとばかりにセリスは黙殺した。
「歩きながらか、もしくはどこか落ち着ける場所に行って……」
セリスはそう言いつつ、数歩進んで少女に近づく。
その次の瞬間に、セリスは少女の手元に銀の輝きを見て身を引いた。
すでに横につけていたアーネストが、ナイフで切りかかってきた少女の手首を危なげなくとらえる。
「……っ」
よほど強い力で抑えられたのか、少女は押し殺した呻きとともにナイフを取り落とした。アーネストは息も乱さずに低い声で言った。
「追いはぎに構ってる暇ないねんて。警備兵来ても面倒やし、オレらこのまま行くで」
冷ややかにな囁きとともに、少女を解放する。
少女は、眉間にぐっと皺を寄せて、アーネストを睨みつけた。
「追い剥ぎではない、無礼者め。試しただけだ」
「抜かせ」
アーネストは、およそ容赦の欠片もない侮蔑まじりの一言を放った。
「二人とも、落ち着きませんか?」
はっきり勝負がついてしまったはずなのに、高まるばかりの緊張感に耐え切れず、セリスはナイフを拾いながら声をかけた。
果たして、不機嫌な二人にまともに視線をぶつけられることとなる。
少なくとも、旅の間にアーネストの冷たいまなざしに耐性はできている。セリスはにっこりと目元だけで微笑んでみせた。イライラとした様子のまま、アーネストは髪をかきあげる。
「何や、さっきからずーっとついて来とるとは思ってたけど。とんだ小者やったわ。あほらし」
アーネストが言うと、少女はさっと顔を強張らせた。
「小者ではない」
「知らん。そっちが何者かなんて興味ない。こっちにも興味持たんでほしいわ。さっさと行きな」
顎をしゃくるような、絶妙に癇に障る動作つき。普段はそんなことをしないので、よほど腹に据えかねて怒りをぶつけているか、挑発をしているのか。
いずれにせよ、いささか冷静さを欠いているように見える。
「うううぅぅ……この私を、顎で使おうなんて」
「せやから、使う気なんか無い。消えろって言ってるだけや」
「アーネスト……、ドン引きするくらい柄が悪いです……」
命も身柄も狙われる生活には慣れているセリスなので、人の危険度を見た目で判断するような意識は持ち合わせていなかった。
それでも、アーネストが少女一人相手にここまで強固なのは、ひとえにセリスの命を預かっているせいなのは明らかで、申し訳なくも感じる。
見たところ、少女は一人だ。
どこかに仲間が潜んでいるのかもしれないが、差し当たりこの子を放り出してはいけない、とセリスは心に決めた。治安は悪くなさそうだが、少女が一人で歩いているのは気になる。
「何か食べようと思っていたんですけど、一緒にいかがですか」
「施しは受けない」
「おごるとは言ってません。その辺の屋台で買い食いしますので、その間僕達と歩くのは自由です。お話があれば聞きましょう」
すかさずセリスが言うと、少女は少しひるんだ表情になった。
すぐにふてぶてしい態度を取り戻すと、ちらりとアーネストを見てからセリスに向き直った。
「お人好し。そっちの狂犬とはずいぶん違うのね」
「誰が犬だ、しばくぞ」
「ごめんなさい。犬に失礼だったわ」
「オレの連れにもめたくそ失礼やわ。なんやお人好しって」
力でやりこめられた後なのに、よくもそこまで、という強気な調子で少女はアーネストにくってかかる。アーネストもまた、やられた分はやり返す性質なので、すぐさま言い返し、そこからは舌戦の応酬となった。
口を挟む気のないセリスは、のんびりと歩き出す。
「世の中にこんな口も意地も悪い美人がいるなんて思いもしなかったわ。私も見る目がないわね」
白熱のやりとりのさなかに、少女がアーネストに対して忌々しげに呟いた。
露店で串刺し肉を二本買い求めていたセリスは、その嘆きにふと振り返る。
まさにその時、少女がアーネストと睨み合いながらセリスの背後に迫ってきて言った。
「私の理想には、ちょっと身長が足りないのだけど……。顔も綺麗そうだし、あなたにする」
何かに選ばれたな、と他人事のように思いつつ、セリスは串を一本アーネストに差し出す。それを、少女が手を伸ばして鮮やかに受け取った。
「えぇー……」
セリスの抗議の声も空しく、少女はおそろしく自信過剰な様子で言い放った。
「あなた、私の恋人になりなさい」
「お断りします」
一瞬の躊躇いもなくセリスは却下したが、少女はまったく気にした様子もなく、手にした串でアーネストを指し示した。
「あなたたち、恋人同士?」
「まったく違います」
「手を繋いでいたわよね。どういう関係なの?」
「僕とアーネストは、商家の生まれです。年も近いということで、お互いの両親に旅をすすめられて故国を後にしてきました」
すらすらと旅用の作り話をするセリスから目を逸らさず、頷きもせずに聞いていた少女だが、セリスが言い終えるのを待っていたかのように言った。
「嘘ね。少なくとも、そっちの金髪は軍人でしょう? 動きが綺麗すぎるわ」
不機嫌あらわだったアーネストが、すっと意識を研ぎ澄ませたのを感じた。
(この子、目利きだ。何かある)
ひりつくような威圧感を受け流して、セリスは目を細める。
居丈高な物言い、強い自信。身の程知らずでないのなら、それなりに腕に覚えもあるのだろう。
何より、瞳に凝った老成の気配。よく似た人を知っている。
故国に残してきた、銀の髪に緑の瞳の月の王。父王の退位に伴い、王族の定めを一身に背負った、セリスの兄。
「オアシスの……、どこかの都市の支配階級の方ですね。こんなところで一人で恋人探しですか」
きわめて何気ない調子で言うと、少女はさして驚いた様子もなく頷いた。
「報酬はそれなりに用意する。折り入って頼みたいのよ。私の恋人として、婚約者に会って欲しいの。結婚を潰すために」
「それ、僕たちに受ける理由は全然ないです。今はべつにお金に困ってないので」
セリスがすげなく返しても、少女は取り合う様子もなくにこりと笑った。
「私に協力してくれたら、あなたたちにも協力するわよ。私はいずれこのマズバルの主となる。そのときに、望みのものをあげるわ。悪くない取引になるはずよ」
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