王宮へ

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王宮へ

 生まれてこの方離宮を離れたことがない。 「姫は、馬に乗れるのかい?」  離宮を発つ際にゼファードに問われ、セリスは「まさか」と言い返すこともできずに青ざめた。  その様子を見て「驚かせて悪かったね。姫には必要のない訓練だ」とゼファードは言い、金糸で美しい刺繍の施された緋色の布を幌とした馬車に、セリスを案内をする。  自分は美しい白馬に跨ると、鹿毛の馬に乗ったラムウィンドスと馬車の左右に分かれて随行の列を成した。 (女性兵士が馬に乗る姿は見たことがあるけど……)  幌の陰から、セリスはすっきりと伸びたラムウィンドスの背を見つめる。  なびく白金色の髪。象牙色(アイボリー)の高襟シャツが陽の光を受けていて、目に染みた。  彼の動作は無駄なく静かでいて、風を切るほどの力強さがあった。それはセリスの目を奪い、これまで知らなかった男性というものを、鮮やかに印象づける。 「姫、馬車はどう?」 「揺れますね……!」 「ああ、そうだね。長時間乗るようなものじゃない。まあいい、すぐ着くよ」  王宮への道すがら、ゼファードは幌越しに何度か声をかけてくれたが、振動の激しさに何度か舌を噛みそうになり、セリスはろくな返事もできなかった。  いざ王宮が近づくとゼファードは「正式なお披露目は先になるけど、裏庭で主だった家臣や今日から君付きになる者たちが待っている。私は一応、そこで君と初めて会うということになっているので、先に王宮に入らせてもらうよ」と言って、馬を先に走らせて行ってしまった。  馬車にマリアと二人残されたセリスは、手に手を取り合って震えをおさえるのに懸命になっていた。 「ゼファード兄さまは、そんなに固くならずに気楽に構えていなさいと、言ってたよね……」 「ええ、確かに仰っておりましたわ。姫さま、聞いてらしたんですね」 「聞いてたけど、だって……それじゃなんで出迎えがあんなに大人数いるのよ!」 「姫さま、それはここが王宮だからです!」  馬車はいままさに王宮の裏門を抜け、裏庭に到着。  王宮の裏手に建つ離宮からはそこを通過せねばならないし、セリスの王宮入り自体はまだ公にされることではないので、隠密にことを運ぼうという配慮からであった。  何しろ、セリスはこれまで、世の中の半分に相当する「男」というものに一切接したことがないのである。その中には、父王すら含まれていた。この異常事態に際し、セリスが王宮入りしてから最初の数ヶ月は姫が社会になじむための訓練にあてると、あらかじめ決められていたのである。  よって、出迎えも出来るだけ大事にせず、堅苦しくない雰囲気で行うということになっていたらしい。  しかし、どう少なく見積もっても、裏庭にはセリスがこれまで離宮で目にしたすべての人間以上の数の女官や兵とおぼしき者が、到着を待ち構えていたのである。 「どうしよう……。みんな見てる……」  他に人の目がない環境だったこともあり、離宮勤めの者は大半がセリスに甘かった。  そもそも、礼儀作法を身につけさせようとしても、ほぼ人と知り会う機会のなかったセリスが真面目に打ち込めるはずもなく。  結果、このような場面で必要とされる様々な知識を、すぐに実践に移せるはずもなかった。 「姫さま、お気を強くもって。そりゃ姫さまは世間知らずで変わったお育ちですけれど、紛れもなくこのイクストゥーラの姫君なのです! それも、全世界の注目の的、殿方の憧れを一身に集める『幸福の姫君』なのです! そういうことになっている以上、ここは堂々と行かれるしかありません!」  力強くマリアに言い切られて、セリスは反射で頷いた。  けれどまだ決心がつかず、幌の陰からそっと外をうかがう。  人々の間を通り抜け、馬車が止まった。 「姫、着いています。降りる準備はできていますか」  やはり、男の人の声というのは聞き慣れない。  ラムウィンドスの声というのはわかったが、セリスは返答につまる。  横にいたマリアが、しっかり、と言ってきて、ようやく口を開いた。 「ええ。いま参ります」  少しの間を置いて、幌が開けられた。  瞬間、まぶしい光が目を貫く。  とっさに顔をしかめてしまい、腰がひけた。すぐに容赦のない声が耳を打った。 「違う。笑顔だ」
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