過ちを犯す月

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過ちを犯す月

 三年前。  アルザイによって突きつけられた「歴史」から知り得た事実をもとに、セリスはゼファードに迫った。 「()()()()()()()『幸福の姫君』の予言は、本当に存在しているのですか」  ラムウィンドスが去り、軍部の再編等、国政にそれまで以上に深く踏み込むこととなっていたゼファードは、セリスに対してもはや隠すことなく言った。 「予言そのものは、実際にあった。姫や私が生まれるずっと前、今は亡き王女にされたものだ。私たち兄妹の叔母にあたる。かつて『選んだ伴侶を覇王に導く』とされたのはイシス王女。アスランディアの王を選んでこの国を出て行った」 「その時に、国境線をめぐるいざこざがあり、後に戦争のきっかけになった、と図書館の本には書いてありました。これは文字通りの理解で間違いないのでしょうか」  このとき、すでにゼファードは髪を銀にもどしていた。  輝くまでの冷たい月光をまとい、かつてより笑うことが明らかに少なくなってはいたが、セリスの質問に対しては笑みを浮かべた。それは、ひどく乾いていた。 「そこに気づかせたのは、アルザイか」 「わたしに読むようにすすめたのは、たしかにアルザイ様です。あの歴史書は、イクストゥーラで作られたもの。もし、アスランディアで作られた歴史書があれば、差異や齟齬があるかもしれない……というのはわたしの考え過ぎでしょうか」 「仮定の話に答えるのは、私の立場上あまりよくない。この場ではセリスの兄として、答えよう。以降は二度と口にするつもりはない」 穏やかだが、譲れない一線を突きつけて、ゼファードは続けた。 「今は滅びたアスランディアの民が生きていたのならば、同盟関係にあった月と砂漠の裏切りに厳しく言及するだろう。もし姫の読んだ本に、何か引っかかる箇所があったのだとすれば、そこには恐らく不都合な事実が埋められている。アスランディアの滅亡しかり、幸福の姫君しかり」 「真なる予言の姫は、イクストゥーラに帰還後お亡くなりになったと……。姫は、アスランディアではなく、イクストゥーラに繁栄をもたらすために、自らお戻りになったんですよね?」 「()()()()()()()()()()()()。少なくとも、当時を知っている者で、その記述を信じている者はこの王宮にはいないだろう。私も」 淡い笑みを浮かべた兄を、セリスはまっすぐ見つめていた。  慎重に言葉を選び、口を開いた。 「兄様は、お会いしたことがあるのですね。イシス様に」 冷静であろうとするが故に、その声は固く冷たい響きを帯びた。ゼファードは柔和に微笑んだ。 「察しが良いね。セリスの考えている通りだ。私はあの方を知っている。あの方は、太陽王を愛していたよ。『予言の姫』として戦勝祈願の為に無理やりイクストゥーラに戻されることさえなければ、あの方は、愛した太陽と死ぬまで添い遂げただろう」 「イシス様はまったく納得していなかったと。であれば、滅多なことを口外されるわけにはいかないでしょうから、人前に出されることはなかったでしょうね。……この国には、貴人を閉じ込めるのに適した()()があります」 離宮。セリスを閉じ込めていた狭い世界。そこに漂う先住者の気配はそこはかとなく感じていた。 かつて誰かがいた。 (ただ閉じ込められただけではないはず。選んだ伴侶を覇王に導くというのが予言の内容であるのならば。イクストゥーラの益となる誰かを、再び選ばなければ……)  不本意な帰還をしたイシスは、月の国の戦勝祈願に立つことはなかっただろう。実際の(まつりごと)に使えない彼女にできることはひとつ。  強制的に、選ばされる。この国(イクストゥーラ)の人間から、「覇王」たるべきひとを。 (心が伴っていないのに……。何をすれば、選んだことになる? 本人の発言を封じ、人前に出すこと無く……。対外的には、結婚を発表してしまえば。)  ――もし選ぶなら、ゼファードを。  どくん、と心臓が鳴った。  兄妹の契りなど。  しかしそれが一番、考えられ得ることでは。 「兄様。イシス様は、わたしと兄様の父上の妹君ですね? アスランディアの滅びとわたしの生年はほとんど一致しています。……わたしの、母はどなたです。兄様の母とわたしの母は別の方ですか? わたしの母は……イシス様ではないですか?」
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