78人が本棚に入れています
本棚に追加
/265ページ
過ちを犯す月
三年前。
アルザイによって突きつけられた「歴史」から知り得た事実をもとに、セリスはゼファードに迫った。
「わたしに関する『幸福の姫君』の予言は、本当に存在しているのですか」
ラムウィンドスが去り、軍部の再編等、国政にそれまで以上に深く踏み込むこととなっていたゼファードは、セリスに対してもはや隠すことなく言った。
「予言そのものは、実際にあった。姫や私が生まれるずっと前、今は亡き王女にされたものだ。私たち兄妹の叔母にあたる。かつて『選んだ伴侶を覇王に導く』とされたのはイシス王女。アスランディアの王を選んでこの国を出て行った」
「その時に、国境線をめぐるいざこざがあり、後に戦争のきっかけになった、と図書館の本には書いてありました。これは文字通りの理解で間違いないのでしょうか」
このとき、すでにゼファードは髪を銀にもどしていた。
輝くまでの冷たい月光をまとい、かつてより笑うことが明らかに少なくなってはいたが、セリスの質問に対しては笑みを浮かべた。それは、ひどく乾いていた。
「そこに気づかせたのは、アルザイか」
「わたしに読むようにすすめたのは、たしかにアルザイ様です。あの歴史書は、イクストゥーラで作られたもの。もし、アスランディアで作られた歴史書があれば、差異や齟齬があるかもしれない……というのはわたしの考え過ぎでしょうか」
「仮定の話に答えるのは、私の立場上あまりよくない。この場ではセリスの兄として、答えよう。以降は二度と口にするつもりはない」
穏やかだが、譲れない一線を突きつけて、ゼファードは続けた。
「今は滅びたアスランディアの民が生きていたのならば、同盟関係にあった月と砂漠の裏切りに厳しく言及するだろう。もし姫の読んだ本に、何か引っかかる箇所があったのだとすれば、そこには恐らく不都合な事実が埋められている。アスランディアの滅亡しかり、幸福の姫君しかり」
「真なる予言の姫は、イクストゥーラに帰還後お亡くなりになったと……。姫は、アスランディアではなく、イクストゥーラに繁栄をもたらすために、自らお戻りになったんですよね?」
「そういうことになっている。少なくとも、当時を知っている者で、その記述を信じている者はこの王宮にはいないだろう。私も」
淡い笑みを浮かべた兄を、セリスはまっすぐ見つめていた。
慎重に言葉を選び、口を開いた。
「兄様は、お会いしたことがあるのですね。イシス様に」
冷静であろうとするが故に、その声は固く冷たい響きを帯びた。ゼファードは柔和に微笑んだ。
「察しが良いね。セリスの考えている通りだ。私はあの方を知っている。あの方は、太陽王を愛していたよ。『予言の姫』として戦勝祈願の為に無理やりイクストゥーラに戻されることさえなければ、あの方は、愛した太陽と死ぬまで添い遂げただろう」
「イシス様はまったく納得していなかったと。であれば、滅多なことを口外されるわけにはいかないでしょうから、人前に出されることはなかったでしょうね。……この国には、貴人を閉じ込めるのに適した牢獄があります」
離宮。セリスを閉じ込めていた狭い世界。そこに漂う先住者の気配はそこはかとなく感じていた。
かつて誰かがいた。
(ただ閉じ込められただけではないはず。選んだ伴侶を覇王に導くというのが予言の内容であるのならば。イクストゥーラの益となる誰かを、再び選ばなければ……)
不本意な帰還をしたイシスは、月の国の戦勝祈願に立つことはなかっただろう。実際の政に使えない彼女にできることはひとつ。
強制的に、選ばされる。この国の人間から、「覇王」たるべきひとを。
(心が伴っていないのに……。何をすれば、選んだことになる? 本人の発言を封じ、人前に出すこと無く……。対外的には、結婚を発表してしまえば。)
――もし選ぶなら、ゼファードを。
どくん、と心臓が鳴った。
兄妹の契りなど。
しかしそれが一番、考えられ得ることでは。
「兄様。イシス様は、わたしと兄様の父上の妹君ですね? アスランディアの滅びとわたしの生年はほとんど一致しています。……わたしの、母はどなたです。兄様の母とわたしの母は別の方ですか? わたしの母は……イシス様ではないですか?」
最初のコメントを投稿しよう!