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二人の兄
ゼファードのまなざしが、優しすぎて痛い。
心の深い場所に触れてくるから。
そこにあるセリスの恐れを、正確に見抜いてしまっているから。
「セリス。私は父と同じ過ちは繰り返さない。セリスが私と血を分けた妹であるのは知っている。私には姫が必要だが、父上のように無理強いはしない。イシス様のような悲劇を繰り返す気はない」」
聞いてはいけない。耳を塞がなくては。目も心もすべて閉ざして。早く。
わかっているのに、全身が凍りついたかのように不自由で、固く、重い。見開きすぎた目が痛く、涙が浮かぶのがわかった。
「無理強い……。太陽の王を愛していながら、連れ戻され、月の王の子を生むことを強要されたというのですか。かつての『幸福の姫君』は。太陽を、愛した方の国を滅ぼすために!?」
「そうだ」
認められてしまった。
心の痛覚を遮断できるものならば、したかった。
「それは、紛うことなき悲劇です! 兄様は繰り返す気がないなら、どうして……! どうして、偽りの予言の姫を作り出すことを看過しましたか。それは来たるべき戦争に備えて『月には予言の姫がいて、覇王たるべき伴侶を月の民から選んだ』とし、その方を前面に立てるためですよね。なぜ誰も、この計画を止めなかったのですか! わたしは、何のために」
「アスランディアは、かつて月と砂漠の間に位置していた。かの国が消滅した今、砂漠は国境を接した、豊かなる月の国を欲するだろう。この戦争は起こるべくして起きる。アルザイは砂漠の民の求心を失わぬためにも、月に襲い掛かってくる。私たちには、予言の姫を用意しておく必要があった」
たとえ、偽物であっても。
(おそらくそれは、勝ち目の薄い戦い。だから、神の威光さえも人為的に作り出して、利用する)
「アルザイ様を止めることはできないのですか。話し合いで解決はできませんか」
「私とあの方との個人的な諍いなら、どちらかが謝ればすむだろう。少なくともお互い、命まではとらないだろう。だけど、私達の背後には国がある。相手が一歩出てきたときに、一歩下がって譲るわけにはいかない。削られた陣地はその上に立つ者同士で圧し潰し合わせ、弱い者から死んでいく」
あんなに、三人とも仲が良さそうだったのに。
それが、まったく意味をなさないことなど、ありえるのだろうか。
三人。
話題には決してのぼらない、白金色の髪の青年の面影がよみがえる。セリスはかぶりをふって追い払おうとした。考えてはならない。
セリスの苦しみを、ゼファードは静かに見ていたが、吐息とともに言った。
「かつてこの三国間が絶妙な均衡を保っていた頃、互いを牽制する意味合いから、遊学の名目で人質を出す習慣があった。私と、アルザイと、あいつは幼少の一時期太陽の国で共に過ごしている。今となっては、あいつはただ一人の太陽王家の生き残りとなってしまった」
「ではあの方は……、ラムウィンドスは、真なる太陽の息子なのですか」
「あの動乱の時代を経て、月で地位を得ていたが、結局砂漠を選んだ。いずれ滅びの国を背負って我が国へと攻め込んでくる。先陣を切って」
ゼファードが目を伏せる。セリスはそれ以上聞き出すことができずに、唾を飲み込んだ。
(イシス様の生年や嫁いだ年がはっきりわからない……。もしラムウィンドスが太陽王の直系だというのなら、その母君はイシス様なのでは……)
ゼファードが父を同じくする兄であることは、本人も認めるところであるが。
ラムウィンドスは、もしかすると、母を同じくする――
* * * * *
プラタナス並木の下。
買い求めた食事を口にしようとセリスが口元の布を取ったとき、あらわになった秀麗な容貌を目にした少女が、
「美少年。高く売れそう」
物騒な賛辞を口にしたせいで、大人気なく怒り出したアーネストと再び激しい応酬を繰り広げることになったが。
「なんでこんなわけわからん奴の頼みきくんやろうな」
憎々しげに毒づいたアーネストに、セリスは晴れやかな笑みを浮かべ、少年らしく作り上げた声で涼やかに言った。
「面白そうだから」
対照的に、アーネストは眉根を寄せて表情を曇らせる。何か言いたげであったが、何も言わないのは話題にするたびにセリスがはぐらかしてきたからだ。ただ、目が言っている。
──姫様。無茶はやめておいてな。
咎めているわけでも、非難しているわけでもない。ただ、苦いものを口にしたような表情だった。
マズバルの町で、セリスとアーネストに声をかけてきた少女は、ライアと名乗った。
ひとしきり買い食いをすませ、中規模の隊商宿に落ち着いて後、ライアは二人に提案する。
「私は東の砂漠の都市イルハンの王女。このたび、西の黒鷲から婚姻の話が持ち込まれたが、納得していない。どうにかしてその顔に泥を塗ってやれないものかと、飛び出してきてしまったわ」
臆面もなく言い放ったライアに「最低やな」とアーネストが言ったが、セリスは「面白いですね」と笑って言った。
「王女様が、王宮を飛び出してくるだなんて。これも何かの縁です、ぜひお助けしましょう」
アーネストが咎めるような視線をくれるが、セリスは綺麗に黙殺した。
二人の顔を交互に見ていたライアは、黒い目を大きく見開き、茶化すように嘯く。
「あなたの方が、物騒なことを言うのね」
セリスに視線を定めて、紅い舌でぺろりと唇の端をなめる。その様子を、笑みを浮かべたまま見守っていたセリスはなんでもないことのように笑って言った。
「この短い間に、僕は色々知ってしまって。たぶん『怖い』という感覚に疎くなってしまったんです」
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