新月の夜に星は降り注ぐ

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新月の夜に星は降り注ぐ

 砂漠で綺麗な星空を見たいなら、新月の夜が良い。  無粋な月光は、輝く星を霞ませ、弱き星の光を打ち消してしまう。  月の無い夜はすべての星を優しく抱くだろう。  オアシスの主要都市では、最近その言葉がまことしやかに語られている。  アーネストと二人で月の国を発ち、マズバルまでの道中、幾度となく耳にした。砂漠の民が今さら星空の価値を再発見したわけではない、というのはさすがにわかる。  開戦の機運が高まっているのを、肌で感じた。 「イルハンはここに来るまでに立ち寄ったよね。旧アスランディアを併呑したかなり大きな都市だ。しかし、イルハンは連合の盟主となったアルザイ様に膝を折らないので、不和の原因と目されている。イクストゥーラ攻略の要衝となり得るにも関わらず。後背を突かれるのを誰よりも恐れているのはアルザイ様だろう。なにしろ、来る戦の大義名分は『アスランディアの復讐戦』だ。イルハンに暮らしているだろう、旧アスランディアの民の支持はぜひとも欲しい。ここで不仲説を一蹴する為にも、イルハンの王女との婚姻というのは、妥当な線だね」  状況を確認する意味合いで、セリスはアーネストに話す。  宿の費用はライアが出すと言い張り、中でも上等の部屋を二つおさえたので、セリスとアーネストはライアと一度別れて部屋に戻った。湯を使って旅の汚れを落としたセリスは、久しぶりの寝台の上で手足を伸ばして(くつろ)いでいる。  飾り気のない長衣を帯で締め、ズボンを履いたただけの簡単な服装であるが、銀の髪は肩の上で切ってしまっており、長旅の間に細い身体はさらに引き締まっていて、少女らしさは乏しい。  一方のアーネストもまた汚れを落として、緩やかなシャツにズボンといった服装で床に敷かれた絨毯の上に座していた。ほどよく距離が開いているので、セリスからはそのうつくしい横顔がよく見えた。 「あの女の話、どこまで本当か……」  長い足をのばして、片膝を立てた姿勢でアーネストが控えめに言う。 「五分五分。嘘なら嘘で、そのときは対処しよう」 「姫さまは、豪快っちゅうか、繊細さに欠けるな」  アーネストの精巧な作り物のような美貌に、影が差す。その陰影がまた、彼の人並外れた美貌を際立たせる。セリスはアーネストから目を逸らさずに、くすくすと笑いをもらして言った。 「どちらにせよ、僕たちはあの話には乗るしかないんだ。この機会をずっと待っていたんだから。何のために、アーネストみたいに目立つ顔を隠さないで来たと思う。目端のきく者の間には噂になるだろうし、実際に目を付ける者もいると考えたからだ。遠からず大物がひっかかってくるとは信じていたよ」    アーネストは「はぁ」と暗澹たる溜息をもらした。 「姫様かて、高く売れそうって言われてたやん……」 「僕程度なら売り買いの話になっちゃうけど、アーネストの場合はもっと厄介な人間が狙ってくると思っていたんだ。自分がどれだけ美形かわかってない?」  イキイキとして外道な話をするセリスに対して、アーネストは「自分をわかってないのはどっちや」と捨て台詞をしてから、絨毯に身を投げ出し、腕で目を覆った。 「あ~あ。いじらしいお姫さんはどこに行ってしまったんや……」 「きっと、役に立たないから死んでしまったんだ」  セリスは笑みを崩さぬまま、何食わぬ様子で言う。  わずかに腕をずらして、視線を投げたアーネストが、低い声で言った。 「王族のことはようわからんし、『予言の姫』は誰かの役に立つ存在なんやろうなってことくらいはわかるけど。役に立つから気にかけているだけやない人も、おったで……」  そのまま、黙ってしまったので、セリスは音もなく立ち上がり、サンダルをつっかけるとドアへと足を向ける。  歴戦の剣士とも思えぬのっそりとした仕草でアーネストは身体を起こした。顔はまだ、どことなく不貞腐れている。 「どこへ」 「星を見に、外へ。今日は新月だよ、無数の星々が煌く夜だ。『月なき世界』を、ぜひ見ておこう」  セリスの物言いに、露悪的な気配を感じ取ったアーネストは、押し殺した声で言った。 「一人にはできん」 「僕がアーネストを一人にしてあげたいんだ。ライアが夜這いの機会をうかがっているだろう」 「まさか、やな」  互いに癇に障る相手である。  ライアとて、アーネストに対する感情はすでに最悪のはずだ。 「そうかな。イルハンの王女という話がどれだけ信ぴょう性があるかはわからないけど、何かしらの目的があるのは確かでしょう。その辺、うまく聞きだしてみませんか?」 「オレが?」 「閨に入れば、僕は男ではないのがバレます」 「本当に本当の本気で言っとる?」  距離を詰めたせいで、互いの身体から立ち上るほんのりとした薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。同じ石鹸を使ったはずだが、それぞれの熱とまじって趣を変え、甘く香っていた。   アーネストがさらに進んで、セリスの背がドアにあたる。  吐息さえもかかりそうな近さ。  セリスはアーネストを見上げた。目が合った。アーネストは、眉根を寄せていたが、表情はなかった。  鋭く、硬質でいて、獣めいた「男」そのもの。
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