黒鷲の婚約者

1/2

78人が本棚に入れています
本棚に追加
/265ページ

黒鷲の婚約者

「眠い」  騒然とした朝の食堂で、豆入りのスープを一口飲み、セリスがくぐもった声で呟いた。顔色は冴えない。 「眠いわ」  同じく悄然とした様子で、ライアも呟く。  見かねたアーネストが言った。 「ミント水持ってくるから、待っててな。二人ともひどい顔してるで」  さっと立って、給仕を探しに行く。その後ろ姿にちらりと目を向けて、ライアは重い溜息をついた。 「ほんっと、一言多いのよねあの男。あの顔と比べたらだめじゃない」 「比べているつもりはないと思います。見たままを言ってるんですよ」 「そう……。あなたもあなたでいい性格してるわよね」  香辛料のきいた炒め野菜を挟んだ薄焼きパンを食べつつ、ライアは力なく笑った。  * * *  時を遡ること前の晩。  セリスとアーネストが部屋を訪れると、ライアはまるで待ち構えていたかのように歓迎してくれた。その上で、星ならば露台から見えるから、夜風に吹かれながら盤遊びをしよう、と言い出したのである。 「やったことないんですけど、僕にできるかな」  セリスが受けて立ってしまった結果、二人は夜通し戦い続けることとなった。  はじめのうちは賽子の振り方から駒の動かし方、簡単な戦略を説明しつつも、しっかり勝ちを持って行っていたライアであったが、コツを飲み込んでセリスが一勝を上げてからは互いに退くに引けない意地の張り合いとなった。星空など見る暇がなかった。  なお、空が白むまで戦い続ける二人に付き合いきれぬように、アーネストは絨毯の上で膝を抱えて寝ていた。 「あなたは気が強いというか、負けず嫌いよねー……」 「そうなんですかね。考えたこともなかったですけど」  ライアの指摘に、セリスがスプーンを持つ手を止める。  そもそも「人と争う」環境になかったので考える機会はなかったが、剣の練習は国を出る前からそれなりにしつこくしてきたので、言われてみれば思い当たる節はなくもない。  剣を、最後の瞬間まで敵に向けていられる強さを。 (本当は、守られるのではなく、守りたいと思っていた)  頼りない子どもである自分を許せない気持ちは、胸の奥で燻り続けている。 「私は子どもの頃からずっと考えてきたわ。弱いと思われるのは絶対に嫌なの。誰かに、思い通りにできると思われるのも嫌。結婚なんてその最たるものよ。勝手に向こうから『あれにする』って言われて『はい、わかりました』なんて言えるわけがないじゃない。本当にむかつくわ」  パンを齧る合間に、ライアが強い口調で言う。 「イルハンの王陛下は、どうお考えなんですか」 「腹で何を考えているかわからない男よ。娘だからといって手に取るようにわかるわけがないわ。ただ、私が自分で縁談を潰してくる、と言ったら止めないで送り出してくれたの。おそらくそれなりの護衛がついているんでしょうね。業腹だけど、黒鷲にもすでに連絡がいっているのかもしれないわ」 「なるほど……。冷静ですね」  冷静さを欠いて一晩中戦い抜いたライアであったが、甲斐があったかもしれない。話しぶりはずいぶん砕けたものとなっており、心を開いてくれているのを感じる。 「掌の上で踊るのは慣れているの。でも、踊りたくて踊っていると思われるのは心外よ」  セリスは、目の前の王女殿下をぶしつけなほどまじまじと見てしまった。  怒られるかと思ったが、ライアは挑むようなまなざしで、笑っただけだった。 「あなたのような方なのかな。黒鷲にお似合いなのは」 「馬鹿なことを言うのなら、首を刎ねるわよ」  セリスは敬服して正直なところを告げ、ライアは大げさに肩をそびやかした。  そのとき、テーブルの上に涼やかなミント水を満たした素焼きのコップが置かれた。 「なんや、誰の首を刎ねるって」 「来たわね、忠犬」 「人間の男や。覚えられんようやから、親切に何回も教えてやるけどな」  ムッとしたライアをきれいに無視して、アーネストはセリスには手ずからコップを渡す。「落とさんといて、気を付けてな」と優しい声掛けをしつつ。  受け取りつつ、セリスはふとライアが唇をかみしめているのに気づいた。 (やっぱり、そうだよなぁ……)  アーネストに対しての当たりの強さが、どうも不自然なのだ。  ライアが気の強い性格であるのを差し置いても、セリスにはさほど理不尽な意地悪を言わないのに対し、アーネストにはすぐに食ってかかる。  まるで、それ以外話しかけ方を知らないみたいに。そんなわけがないのに。どうしてアーネストを前にすると、素直でなくなってしまうんだろう。 「こぼす」  隣の椅子をひいて腰を下ろしたアーネストが、セリスの手に手を重ねて傾きかけていたコップをおさえた。 「ごめんなさい、ぼーっとしてました」 「ムキになって遊びすぎや」 「……面白かったので、つい」  遊戯盤など、これまで誰も誘ってくれたことがなかったのだ。 「そんなに好きなら、オレが相手してもええんやで」 「アーネスト、できるの!?」 「そら、一通りは」  なんでもないことのように言われて、セリスは驚きに目を見開いた。 「そんな、今までそんなこと聞いたことなかったし!」 「あなた、昨日ぜんっぜん興味ないふりしてたじゃない」  ライアもつられたように息まいて言った。  それに対し、眉間に皺を寄せたアーネストが冷たい口調で返す。 「興味ないのは遊びやのうて、人や」  視線の先には、ライア。皆まで言わないのは優しさなのか、嫌味なのか。  すげなくあしらわれて、ライアはテーブルの上で拳をぎゅっと握りしめる。 「それで。黒鷲に吠え面かかすって話はどないなったんや」  テーブルの上にあった薄焼きパンに適当に小鉢の前菜をのせてくるくると巻きつつ、アーネストが切り出した。
/265ページ

最初のコメントを投稿しよう!

78人が本棚に入れています
本棚に追加