紫の太陽

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 真っ白の法衣を気遣うつもりはさらさらない無造作な仕草で、アルスは階段にさっさと腰を下ろしてしまう。立ってくださいと言うこともできずに、セリスも少し離れた位置に座った。なかなか言葉は出ない。  少しの間、アルスと市場の賑わいを交互に見る。  自分がいま何を考え、何に悩んでいたのか。 (アルザイ様の弱みについて。なんて、さすがに言えない。もっと他に何か)  考えに考えて、息を吐き出した。 「僕は、自分が何もできないのが嫌だったんです。とにかく、打って出なければ、動かなければ何も変えられないと信じていました。でも、動いた結果、人を振り回しただけで……」 「なるほど。そうですね、じっとしているよりは動いた方が気が紛れるけれど、あなたの気が紛れても世界にはなんの影響もないと」  いささか手厳しい言葉であったが、セリスは沈黙のまま頷いた。  アルスはセリスを見つめてきて、不意にまなざしをやわらげた。 「他にも何かあるでしょう?」 「何か……」 「たとえば。恋、とか」  セリスの視線の先で、アルスは紫水晶の瞳をきらりと光らせた。  その様子を見ていたら、咄嗟に否定することもできず、思ってもいないほど素直に言葉がこぼれ落ちた。 「僕には以前、すごく好きな人がいたんです。理由はよくわかりません。突き詰めると、わからないんです。どうして好きなのか。親切でしたし、大切にしてくれたと思います。でも、その人以外にも、僕を丁重に扱ってくれる人はきちんといました。それでも恋をしていると、思っていました。でも、その恋にはどれほどの意味があるのか。僕は一体、何をしているのか。ここにいていいのか」  アルザイが月と戦争を始める気なら、止めなければと思ってここまで来た。ゼファードが動けない以上、自分が。王族の一員として。  しかしセリスは、過去に存在した「予言の姫」イシスを模して造られた偽りの「幸福の姫君」である。アルザイにとって、セリスという人間にはなんの価値もない。忠告も嘆願も聞く意味が無い。  それを知っていてもなお、無理をおしてここまで来たのは、おそらく目的がそれだけではなかったせいだ。  会いたかった。  熱砂の国に去ってしまった人に。  それは恋との自覚がある。愚かで幼くて、どうしても手放せなかった恋心。  アルスは、セリスの表情をじっと見ていた。セリスが唇を引き結んで長く沈んでいるのを見て、静かに話し始めた。 「離れている間に、あなたの気持ちはその人から離れたのでしょうか。それとも強くなったのでしょうか。いまもし迷いがあるとしたら、まっすぐにそのひとのことを好きとは言えない、障害があるのかもしれません。身分、立場、あるいは何かもっと別のもの。そういった何らかの不都合があり、自分の気持ちを殺してしまう。好きなのに好きじゃないと思い込もうとする。そういうときに、自分の気持がわからなくなることはあるでしょう」  さらりとした指摘に、セリスは息を止める。 (わたしとラムウィンドスは、血のつながった、兄妹かもしれない──)
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