機嫌の悪い面々と、機嫌の良い神官

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「神に仕えているので神官です。何もおかしいところはないですよ」  セリスが遠巻きに、あるいは直接訪ねても、アルスは紫水晶の瞳を細めてそう言うのみ。  神殿に詰めている者たちの態度や配慮の仕方を見ても、かなり高位にあるのは間違いないとは思われる。だが、アルスはセリスに対して、自分の正確な立場を明らかにしたくないらしい。  腑に落ちないというより、落ち着かないのだが、身分を曖昧にしていることに関してはセリスにも同じだったので、うまく追及することができなかった。 (すごく立場のある人みたいだけど、はっきりさせてしまうと、一介の旅人であるわたしを構っていられなくなるのかも……)  アルスはセリスを神殿の書庫へ通してくれたので、出来る限りの文献にあたった。時間は瞬く間に過ぎ、食べ物と寝る場所を提供されて、翌日も一日書庫にこもった。  その日、陽が落ちてから迎えに来たアルスに食事に誘われた。  神殿内の食堂かと思ったが「実はもう時間が遅いのです」と言ったアルスは、法衣ではなくこざっぱりとしたシャツに着替えており、額の銀環も外していた。年齢はよくわからないが、見た目だけで言えば普通の青年である。 「遅くなったときは私は市場で適当に食べています。すぐそばですし、一緒に行きましょう」  本当はもう少し書庫にいたかったが、灯りも好意で借りていたので、切り上げ時ではあった。セリスはアルスと連れ立って神殿を出た。      夜とは思えぬほど、市場の賑わいは衰えを見せていなかった。  昼間開いていた物売りの店は見当たらなかったが、その空き場所にテーブルや椅子を並べて食事や酒を提供する店が営業を続けていた。もしかしたら、夜から開く店もあるのかもしれない。 「かなり遅くまで楽しめます。ただし、良からぬ輩も増える。気を付けてくださいね」  アルスはそう言って笑っていたが、神官というのは結構自由なんだな、と思った。 「ああ、あそこの店が美味しいんです。料理を一通りとりましょう。お酒は飲みますか?」 「一通り……?」 「お腹が空いてまして」  屋外に並べられたテーブルの空いている席につき、アルスは給仕を見つけてさっさと注文をする。お酒を頼もうとしていたので、セリスは慌てて自分の分は辞退した。 「それで、書庫で何か新しい発見はありましたか」   周囲には酔客が多い。  吟遊詩人が弦楽器をかき鳴らし、歌う者あり踊る者ありと、かなりやかましい有様であったが、アルスは何も気にした様子がない。セリスも旅の間にだいぶ慣れてはいたが、行動に気を遣っていたので、ここまで開放的な場は初めてだった。 「書庫では……新しいものを中心に見ました。最近の、アルザイ様の政策ですね。隙が無いなと思いました。後は、アスランディアとの戦争のことも調べたかったんですけど」 「そうですね。アルザイ様は隙が無いというか、抜け目がないというか。いずれにせよ、隙を見せれば西の帝国が黙ってはいませんから。隊商交易路の安全確保の名目で軍事力は強化していますし、国力を支える為に畜産農業方面にも手も打っている。手強い君主ですよ。月の国はどうです?」  酒の杯を傾けながら、さらりと問われてセリスは言葉に詰まる。 (ゼファード兄様のことを、悪くは言いたくないけれど……) 「月も、最近代替わりして国王が代わっていますが……。まだ、古い習慣から抜け出せない感じはあります。陛下は、もちろんわかっていたと思いますが、なかなかままならないようで」  アルスは固い椅子にゆったりと背を預け、セリスをじっと見て来た。 「わかった上で、王はその古い習慣もろともに国ごと滅ぼそうとしている、ということはないですか」 「滅ぼす?」  喉の奥が詰まるような、息苦しさがぐっとこみ上げてきた。  不意に、アルスは目を瞬いて、真剣な表情をかき消して柔和に微笑んだ。 「美味しいですよ。あなたも食べてはいかがですか」  テーブルに届き始めた皿を手で示して勧めて来る。セリスは、口元を覆っていた布をこのときはじめてアルスの前で外した。  顔を上げて、目を合わせたとき、アルスに見られていたことに気付いた。特別なことではない、アルスはこれまで何度も紫水晶の瞳でセリスをじっと見てきている。  ただ、素顔を見つめられるのは少しだけ緊張する。 「どうかしましたか」  思わず問い返すと、アルスは薄い唇を持ち上げて笑い、セリスから目を逸らさずに言った。 「綺麗だなと思いまして。まるで月の乙女だ」 「よく言われますけど、男なんですが」 「正直、どちらでも良いですね」  何が良いのだろう。 (親切な人なんだけど、独特な話し方をするよなぁ……)  特徴的な紫の瞳のせいだろうか。見つめられると、落ち着かない。  セリスは自分の杯に手を伸ばす。ミント水のつもりで、一口でぐっと飲み干して、(違う)と気付いたときにはすでに飲み下してしまった後だった。 「これ……、お酒では」  カッと喉が焼けるような熱さの後に、眩暈に襲われた。 「それは私の。大丈夫?」  吐き気はなかったが、一瞬で酩酊した。セリスはテーブルに肘をついて、掌で額をおさえた。  大丈夫、と答えようとして、大丈夫ではないと気づいたが、声が出てこない。 「無理しないで、休んでください」  差し出された杯を受け取る気はしなかったが、「本当にこれは大丈夫です」と言われて口に含むと、涼やかなミント水だった。それでも視界はぐらぐらしたまま。本格的にこれはまずい、と自覚した。  束の間、記憶が飛んだ。  気づいたら、足がふわりと浮いていて、アルスに抱きかかえられていた。 「少し寝てましたよ。帰りましょう」 「歩けます」 「歩けません」  即却下。 「私はそんなに力があるわけではないので、落ちないようにしがみついていただけますか」 「……歩きます」 「ダメ」 (最悪だ、わたしが)  力がないという割に、腕にはしっかりと安定感があった。  セリスはいたたまれなさで死にそうだった。 「自己嫌悪って顔してる」 「申し訳ありません」  アルスがくすくすと笑っている。  もはや何を言う気力もなくセリスはうなだれたが、アルスは全然気にした様子もなくセリスを抱えた腕に力を込めた。 「そんなに落ち込まなくていいですよ。わざとですから」 「え?」  顔を上げたセリスに、アルスはひどく上機嫌で言った。 「悪い大人が本気ではめるつもりではめたんですから、仕方ないです。思った以上に簡単ではありましたが。さてこの後は、どうしましょうか」
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