78人が本棚に入れています
本棚に追加
月の王の真意
その後──。
セリスは王宮にてライアとアーネストと再会を果たし、暗殺未遂の一件を知る。
事前に話が通っていたアルザイは、セリスと会わないとつっぱねるどころか、待ち構えていた。
執務室に通される。その場には、アルザイとラムウィンドスとセリスの三人のみ。
「久しいな。息災にしていたか。三年見ない間に、姫は顔つきが変わったようだが」
アルザイに鷹揚に微笑まれ、セリスは涙ぐんでしまった。
「兄様に、砂漠へ向かう許可を得るために、体を鍛えました。ですが、ただここまで来ただけでは、アルザイ様は認めてくださらないと思っていて……。まさかお会いして頂けるなんて」
「あっはっは。俺もずいぶん恐れられたものだ。姫に俺のことをそのように教え込んだのはゼファードか? 俺をなんだと思っているんだ、あいつは」
朗らかな声を聞きながら、セリスは俯いて目を閉ざした。涙で、瞼の奥が熱い。
(今もアルザイ様は、兄様を気にかけている。これから戦争へと突き進もうという二人なのに。やはりこの戦争、アルザイ様の本意とは思えない。もっと違う思惑がある)
これまでの道中やアルスと話して知り得たことから、推測は形になりつつあった。
それが本当であれば、セリスにとっては、すぐには受け入れがたい事実。同時に、それしかないと今は思い始めている。
「僕はずっと、アルザイ様を止めなければと思い込んでいました。ですが、もしかしたら、止めるべきはゼファード兄様だったのでしょうか。戦争への道筋を描いているのは、砂漠ではなく月なのではと思うようになりました」
セリスの洞察に、アルザイは鷹揚に頷いてその考えを認めた。
「先の戦争でアスランディアが滅亡したときからの、規定戦略だ。次はイクストゥーラが滅びる」
「どうしてですか」
推測では埋められない部分。
率直に尋ねたセリスに答えたのは、参謀のようにアルザイに従うラムウィンドス。
「俺が調べた限りですが、アスランディアの場合、地下水路が何らかの理由で枯れ始めていたのではないかと。どんなに先延ばしにしても、数年以内に国を捨てる必要があった。そう考えれば、おのずと理解できます。生まれ育った先祖伝来の土地を捨てられない民はいるでしょうし、移住するにしても移住先に住む相手とは土地の奪い合いになる。そこで、月と砂漠と謀って、太陽の滅亡が仕組まれた。どうしてもそこには戻れないと、民に思い知らせて他国に流出させるために。戦争難民であっても、技術者や商人となった者は、周辺のオアシス都市で脅威ではなく人足として円滑に受け入れられた」
「それならば、始めからそうすれば良かったのでは。自国の民を、他国に受け入れてもらうというのは、話し合いでは無理だったのでしょうか」
無理だったから、戦争だったのだ。
そう頭ではわかっているはずなのに、セリスはその考えを口にしてしまった。
それを穏やかに諭したのは、アルザイだった。
「姫。戦争とは、土地の覇権をめぐる争いのことを言う。ただでさえこの辺一帯は、見渡す限り痩せた土地だ。今以上の人間がそのどこかに移り住むとなれば、話し合いでは済まされない。奪い合いになるのは避けられない。そして、アスランディアが、故国の民のために死に物狂いで月や砂漠を侵略した場合、被害は甚大になっていただろう。月も砂漠も疲弊し、復興には長い年月がかかったはず。その間に東の大国、西の帝国、そして北の草原。あらゆる脅威にさらされ、侵攻を受けても食い止める手立てが無い。太陽だけではなく、月も砂漠もすべてが滅亡することになる。その事態を話し合いで回避した。そして、打ち合わせ済みの戦争へと突き進んだ」
太陽の敗北が決まっていた戦争。
事前の打ち合わせにより、月と砂漠に有利になるようすべてが仕組まれていた。
「それは……民の知るところではないですよね」
「もちろん。大局を見ての判断だが、『始めから太陽の王は戦争に勝つ気がなかった』と知られていたら、太陽の民は決して太陽王家の『裏切り』を許さなかっただろう。当時の月の王、太陽の王、そして我が父上である砂漠の黒鷲、三者の間に交わされた密約なのだ、これだ」
(東西の脅威、そして草原という「外敵」に備えて、滅びが見えていた太陽は足掻くことなく時代の礎になるべくして散ったと……。太陽王の死、真なる「幸福の姫君」の悲劇……、それは時代の大きな流れの前に必然の犠牲だったということ)
そこから生まれた捻じれが、今もセリスという人間の根幹に関わってきている。それを声高に責めることなどできない。もっと大きな犠牲を払ったひとがたくさんいる。
やりとりを見守っていたラムウィンドスが、そこで見計らったように口を挟んだ。
「そして次は、古い因習にとらわれた月の王国の解体が企図されている。……ゼファードが姫に砂漠行を許可したのは、戦争になったときに、確実に勝つ側に置く為でしょう。おそらく姫だけではなく、アーネスト然り、国外に出せる人材はひそかに出させているはず」
「かつての太陽の王国のように?」
セリスの瞳をまっすぐに見据えて、ラムウィンドスが首肯する。
執務用の机に腰を預けて、アルザイは大きく嘆息した。
「月は月で、長いこと東に脅威があるんだが……。古い因習にがんじがらめの体制では勝ち目がない。むざむざ攻め込まれるくらいなら、砂漠の統治下に入った方がまだ対抗手段がある。しかし、頭の固い連中が納得しないんだろう。ならばいっそ太陽のように『砂漠に被害を出させない戦争で、月の国を終わらせる』それがゼファードの考えだ。ここに砂漠を盟主とした一大帝国を築き、東西の脅威と張り合うという案を、即位以降の働きをもってしても家臣に飲ませることができなかった。その責任を取るべく、ゼファードは自分の首を俺に捧げるつもりだ」
噛んで含めるように告げられた、ゼファードの決意。
アルザイだからこそ。
セリスには伺い知れぬ絆のある二人だからこそ、これほど離れていても互いの考えが手を取るようにわかっていて、話し合いすらしていないのにこんなにも通じている。
その事実に、セリスは愕然として、呟きをもらした。
「ゼファード兄様……。それがわかっていれば、わたしは兄様のそばを、離れませんでした。それが兄様の責任のとり方だというのなら、月の王族としてわたしはその傍らにあるべきでした」
「いや。早まるな。姫がこちらにいるならば、打てる手はまだあるかもしれない。悪い方へと考えるのはよせ」
即座に、アルザイに言い聞かせられる。
ラムウィンドスもまた、冷静そのものの口調で言った。
「姫の移動の裏では、かなりの思惑が動いていたはずです。姫が無事にここまでたどり着けたのは、アスランディア神殿のアルスがごく初期から補佐に入っていたと考えて間違いない。おそらく、ゼファードの意向を受けて。アルスはかなり自由に各地を行き来しているから、月とも通じているんです。この上は悪いようにはしませんので、姫はこのまま砂漠に留まり、なおいっそう見識を広める努力をなさってはいかがかと。それが、ゼファードを救うことになるかもしれません」
アルザイとラムウィンドス。二人がかりで説得をされて、セリスはひとまず頷かざるを得なかった。
最初のコメントを投稿しよう!