【第四部】隊商都市の明けない夜(前編) 予言に呪われた王

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【第四部】隊商都市の明けない夜(前編) 予言に呪われた王

 オアシス諸都市を統べる、隊商都市マズバルが主アルザイは、生れ落ちてすぐに予言によって呪われた王子だった。  ──長くは生きられない。  体格にも健康にも恵まれ、聡明かつ洞察力に長けた王子。  長じて後、オアシス都市群を率いる偉大な王になると誰もが目しつつも、「予言」は絶えず黒い影のように彼についてまわった。  十歳。十五歳。二十歳。節目をむかえるたびに囁かれるのだ「そろそろなのではないか──」 「さすがに、三十歳も過ぎた以上、今死んでも誰も短すぎたとは言うまいよ」  最近の王はそのように(うそぶ)いているが、彼に近しい者は薄々感じている。  王は常に死に支度をしていると。  たとえば、滅びた太陽王国の遺児を部下に迎えたとき、アルザイは彼にこう言ったのだ。 「子など残せば争いの種だ。オレが見届けることができるならともかく、幼いうちに放り出してしまえばどんな愁嘆場になることか。オレはもともと血縁にこだわるつもりはない。お前もそのつもりでいろ」 「何を言っているのかよくわからない」 「お前の『わからない』はタチが悪ぃから好きじゃねえんだよな。オレは納得している、お前も納得しとけ。この玉座にいつか座るのは、真に砂漠とその周辺の国々を統べる力のある者だ。どこにも肩入れしすぎず、けれどあらゆる縁も蔑ろにしないような」  王となっても妻子を得ることもなく──  風向きが少しだけ変わったのは、都市間の緊張や反発の緩和の為、有力なオアシス都市であるイルハンの王女を妃に迎えると決断したことだった。もちろん誰の目から見ても明らかな政略結婚であったが、これまでいかなる薦めも頑として断り続けたアルザイとしては大きな変化と言えた。  しかしその婚姻はイルハンの裏切りにより先行き不透明な状態となってしまった。  一方で、月の国イクストゥーラとは開戦間近との見方が大勢を占めていたが、よりにもよって突如、月の国の象徴でもある月の姫がマズバル王宮に現れたのである。身柄の価値としては計り知れない。  それは本人もよくわかっていたのだろう。  月の姫セリスは、少年に身をやつして砂漠を越えて来たのであるが、帰国を反対されると、「少年」であることを継続すると宣言した。 「姫と呼ぶのはおよしください。僕がここにいることが広まれば、兄上の不利となります。戦況がどう動くかわからない以上、アルザイ様も僕のことは奥の手とみなし、臣民への公表はお控えください」  閉ざされた離宮から、社交の場に姿を見せて約三年。  見違えるほどに成長した月の姫は、涼しい顔で王に進言をした。  アルザイは少し考え、その提案を了承することにした。  即ち、月の姫がマズバルにいることは厳重に秘すべしと。 「お前、間違えても人前で『姫』と呼ぶなよ」「呼ばないでくださいね」  王と姫から釘を刺された太陽の遺児は、無表情ながらも軽く眉を寄せていて、彼を知る者が見れば明らか戸惑っていたのだが、黙殺された。 「では、姫は今後マリクと名乗るが良い。セリスの名は誰も口にしないように厳命を下す。ラの字、お前に言ってるぞ」 「アルザイ様のご高配感謝いたします。良い名ですね。それと、僕の扱いですが……。帰国しない以上、仕事を得たいと考えています。ゼファード兄上の手前、今ここで死ぬわけにはいきませんので、防犯上の意味で王宮に置いていただけると大変ありがたいのですが」  淀みなく話すセリスに対し、ラムウィンドスはいよいよ眉をしかめて詰め寄った。 「何を言ってるんですか? 姫が、働く? 何をなさるおつもりですか」 「言葉を覚えたので通訳などはどうでしょう。読み書きもできますので、写本や祐筆もアリかな。ところで姫って呼ぶのはやめてくださいね?」  口を挟ませる気はない様子のセリスに、アルザイが噴き出した。 「仕事は王宮内でいくらでもある。そうだな……地下水路でも建築でも農業でもいい。なるべく知識をつけながら、周りを蹴落として上がってこい。月の王家の容姿だ、わけありの賓客扱いはせざるを得ないが、仕事では特に手を貸すつもりはない。オレも忙しいからな」  セリスにそっけない態度を取られて呆然としていたラムウィンドスは、今度は主であるアルザイに目をむいた。 「何を言ってるんですか。どこも圧倒的に男性の多い部署です。姫を放り込んで、目もかけないだなんてそんな馬鹿なことありますか。俺も姫に勉強させるのは賛成ですが、もっと穏便に」 「何を言ってるんだはお前だ、ラの字。お前だってこの国に来たときは特別扱いはいらないと言って上がってきたはずだ。同じことだ。勉強するなら現場に放り込んだ方が早ぇ。あと、姫って呼ぶなよ」 「同じであっていいはずがありません! 俺と姫じゃ何もかも違う!」  真剣にアルザイに詰め寄るラムウィンドスを見ていたセリスは、出来得る限りの低い声で言った。 「あんまり僕を舐めないでね、ラムウィンドス。そういうの良くないよ。あと、姫禁止だって。人の話聞いてる? 僕とアルザイ様に何回言わせるの?」  ひんやり、とした空気が辺りを覆った。  アルザイもさすがに一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに何事もなかったように快活に笑った。 「どうやら、我らが妹姫はこの三年間でずいぶん変わったようだ。受け容れろ、ラムウィンドス。護衛がついていたとはいえ、月の国を飛び出して自らの足でここまで来たんだ。根性も据わるだろうさ。姫はもう弱くない。これからはマズバルの為に尽くしてもらおう」  それを受けたセリスは唇にうっすら笑みを浮かべた。 「アルザイ様のお役に立つため、励みます。アルザイ様はぜひ太陽と月を従えて君臨してください。……本当はここにいるべきはゼファード兄上だったのでしょう。僕では不足かと思いますが、精一杯代役を勤めさせていただきます」  その笑顔はひどく挑戦的であり、少年とも少女ともとれる際どい美貌を蠱惑的に彩っていた。 (この三年で、かつて何も知らない離宮の姫であったこの子は、変わったのだ──)  それを何よりも印象付ける、研ぎ澄まされたまなざしをしていた。
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