1.何かがあると信じた男

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 糸が切れたとわかった時のことをよく覚えている。  大学生の終わり、日本における人生の夏休みの終わり、宿題もそこそこに手早く終わらせていた私はどうやって社会に飛び込むかというだれしもが抱える問題に呆然としていた。  何もなかったからだ。  私には何もなかった。専攻していた経済学を仕事にしたいとも思わなかったし、仕事にしたい趣味もなかった。希望する職種もなく、では何で生きていくかと問われて、私は答えに窮していた。  だからと言って、周りの学生達と何か違う人生を歩んだかと言われればそうではない。サークルにも所属していたしバイトもしていた。大学内で行われるイベントにも参加していたし、友人達と遊びにも良くいった。よく言えばだれもが想像する充実した生活、悪く言えば平凡な大学生活だったと思う。  家庭が特殊だったわけではない。父親はそれなりの会社に所属して、年齢相応の立場になり金銭的に困窮もしていない。母親も気立てがよく家は常に清潔で健康的だった。親戚づきあいも良かったし、言えば私は、親族というモノを愛していた。  何も不満のない人生だった。満足していた。だからきっと、私には生きると言う熱量が足りていなかったのかもしれない。愛されて、満たされて育った私は、そこから飛び出すイメージがどうしても形にならなかった。  しかしそんな私とは違って、周りの友人たちは良く未来の展望を熱く語った。  あれがしたい。これになりたい。具体的なことがなくても、あっさりと希望する職種を見つけてそこに飛び込むための準備をしていたのだ。  私は焦った。まるで私には何もなくて、この社会に存在する意味がないかのように感じられたのだ。自己啓発本も読んだし、セミナーにも顔を出した。だがどれもいまいちピンとこなくて、悩みは深まるばかりだった。  そうして困り果てていた私が見つけたのは、ある脚本の新人賞だった。  やや突飛ではあったが、私は何を思ったのかそれに応募することにしたのだ。  半ば自棄になっていたのも事実である。何もない私が社会に参加する理由を見つけたくて、無理やりにでも理由を見つけようとしていたのだと思う。  本を読むことは確かに好きだった。周りの人間よりは読書をしていたし、苦に感じたことはない。だが自分が書きたいかと問われれば、そんな気など一度として起こしたことはなかった。
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