1.何かがあると信じた男

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 当然、物語を書くと言う経験などしたことがない。創造という作業とは縁がなかった。思えばそれが就職できない理由の一つだったのかもしれないが、その時の私には気づく由もない。脚本の書き方も知らない有様だった。  とにかく私は何とかこれを形にしたくて最寄りの書店に行き指南書を買い占めて、穴が開くほど読み込んだ。物語とは何であるか、どういう構造をしており、何を求められるのかを学んだ。  単位も早々に修めていた私は、授業はゼミだけとなっていたので、バイトもやめてサークルも抜けると、学内の図書館に籠り切り、開館から閉館までの時間をずっと隅で脚本づくりに費やした。  とにかく数が必要だと思った私は、おおよそ応募しているすべての賞に出すつもりでこれに打ち込んだ。人生で一番力を入れていたかもしれない。大学受験でも、あそこまで必死にはならなかったような気がする。  大学が閉まれば家に帰り、自室にこもって寝る間も惜しんで研究した。スマホで映画を流し、それを目の前にノートを広げた。映画には無駄な時間が一秒もないと書かれていたので、各シーンを分解し、何が行われているのか、製作者は何を表現したいのかを考察した。  これを毎日行うと、不思議なもので映像作品とは何であるかというのが自然とわかってくる。中にはアート系と呼ばれる知識なしでは理解できないメタファー作品もあったが、ほとんどの作品は大衆に広く受け入れられやすいように、どれも似た構造をしている。時間配分や展開の仕方、キャラクターの配置も含めて、そっくりな作品はごまんとある。それをいかに新鮮に魅せるかがポイントなのだ。  それを理解してからは必死に物語を作った。五分から十五分、三十分から一時間と徐々に時間を延ばし、映像作品を作るうえで一時間以上の物を作るために必要な要素とは何かを理解する。この作業が一番難航したが、感覚的にも理論的にも理解すると、いよいよ応募作品を書き始めた。  この段階はむしろ学ぶ段階よりも気が楽で、物語のネタなんてものは世界中のどこかしこに転がっているのだから、あとはそれを拾って育てるだけである。土に植えて水をやり、栄養を与えて枝を伸ばすと、あとは形を整えるために不要なものは切り落としていく。こうすれば物語は自然と形になるのだ。別にプロの作品というわけではない。歴史に残る名作にする必要はなかった。  数か月間の間、起きている間のすべての時間を費やすと、人間というモノは不思議なものである程度ならばなんでもできるようになる。私が応募した脚本はどれも最終選考にまで残り、そのうちの一つが大賞に選ばれた。
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