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第2話
織田倉結衣が転校してきて、4日が経つ。
4日の間に彼女が教室でとった行動を観察することで、僕は彼女の糸が無い理由をなんとなく理解していた。授業や、休み時間などの行動を少し見ただけでも、他人と比べて彼女の違いは明確だったからだ。
そんな『人とは違う行動』に、僕は毎回驚かされ、同時に……感銘を受けた。
近づきたいと思ってしまった。
1番衝撃だったのは、転校初日の放課後のことだろうか。
クラスメイトの多くが、彼女のもとにわらわらと集まり、メッセージアプリのアドレスを交換し合おうという話になったとき、彼女はなんとそれを断った。
正確には、メッセージアプリすらインストールしていなかったのである。現代日本、しかもこの学生という立場でそれができる人間は、なかなかいない。
彼女曰く、時間に余裕があるのなら対面で話がしたいし、緊急の用があったとしても、直接を話す時間を作りたいのだそうだ。
明確な意思表示に周りはたじろぎ、その話はなんとなく流されて終わった。
次の日の昼休みも、そんな行動が見えた。
転校から日が近い人間なので、コミュニケーション能力の高いクラスメイト達から「一緒にお弁当を食べよう」と、まぁ自然な流れで誘いが来るわけだが……一緒に昼食をとる時間が終了し、グループの談笑が始まりかけると――。
彼女はその談笑に「ごめんなさい」と切り込んだ末、図書室に行きたいのだと、場を後にしたのである。
当然、僕にそんなことはできない。
そう、彼女、織田倉結衣は……。
簡明、率直、独立独歩。
自分の規定する目的に対して、どこまでも正直で……忖度の色がない。そんな人間だった。
僕とは真反対。
だから糸に操られず生きることができる。
彼女の姿を見て、最初は正直……糸に操られずに生きるなんてことができるのかと疑った。
しかし、自分の目の前で起きていることを疑うことで、それが嘘になったりはしない。僕は幻覚を通して、それを人並みより認知している。
僕が見ている糸は、僕にとっては本物だし、ならば彼女に糸が無いことも事実と言えよう。
しかし、疑問は残る。
一体どんな生い立ち、人生経験を積めば、そんなことが可能になるんだ……?
放課後の教室、西に傾いてきた日に照らされながら、思考に耽ける。
手がかり不足もいいところだが、それでも考えずにはいられないのだ。
教室の時計を見ると、委員会の時間までもう少し。手短に、かつ確実に考察していこう。
……あの性格はどこから来たものなのだろう?
人の性格というのは、自分で持つものでもあるが、人から影響を受けて変化していくものでもある。彼女は、自分であの性格を確立した?
「考えにくいな」
少なくとも、自分自身だけであの性格になるのは無理があるかもしれない。
幼少期の僕のように、幼いころから奇人だと人から蔑まれることになれば、自分を抑圧してしまうだろうから。
む。でも、元からあの性格だったとして、それを容認してくれるような誰かがいれば別か……?
「あの、天宮くん?」
まず友人、両親……家庭環境? 親が裕福で甘やかされたとか? いや違う。それならもっと我儘になって――。
「天宮くん。……天宮くん!」
うーん……あ、呼ばれてるな。声が聞こえる。
凛とした、誰かの。誰か……の?
待て。
この声には、聞き覚えがある。
最近聞いた声だ。ちょうど4日前に、強い記憶とともに刻みこまれたあの声と同じ。
……まさか。
進行されていた思考がシャットアウトされ、体が硬直する。
恐る恐る顔を上げると、そこには……。
今の今まで考えていた張本人の顔があった。
「――ッ!?」
きりりとした端正な顔が至近距離にあり、こればかりは決して比喩では無く本当に心臓が止まってもおかしくなかったと思――。
(ギギッ!)
痛ってぇ!
糸が……クソ! 挨拶しろだろ分かってるよ!
「あ、ご、ごめん! ぼっ、く、じゃない、俺! 気が付かなくって、えと、織田倉……さん?」
声の主は、僕の素振りにきょとんとした表情を浮かべた後ふんわりと笑った。
「結衣でいいわよ」
「そ、そっか……」
思考すること自体は悪いことではないが、もう少し器用にやれ僕の馬鹿……。
ゼロコンマ数秒の合間に1人反省会を開いて自分を戒め、話題に入る。
まずは目の前の本人と話そう。
直接あちらから話しかけてくれたのだから、待たせるようなことがあってはならない。
「あ、で、なにか用?」
僕は、なるべく愛想の良い好青年の雰囲気を纏うように心がけながら問いかけた。いつもの、表面をすげ替えただけの顔と言葉使いである。
結衣は少しだけ躊躇うような様子を見せて、口を開いた。
「貴方に……聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? 俺に?」
……よく分からない。
転校してきて学校のことがよく分からないのは承知しているが、なぜわざわざ僕なのか。
「他の奴じゃなく、俺?」
「ええ、そうよ。実は、私ね――」
キーン、コーーン、カーン、コーーン……。
「……あ」
結衣の言葉が言い終わらないうちに予鈴が鳴り、僕はようやく気がついた。
委員会の始まる時間が、今であることに。
「ごめん! 俺、委員会があるんだった! こ、今度! 今度ちゃんと聞くから!!」
(ギッ! ギッ! ギリリリリ……!)
腕や膝に、ちぎれんばかりの痛みが走る。
委員会に遅れるとは重罪。今からでも走って規範に沿うのだと、糸が操り人形である僕を吊り上げてきたのだ。
結衣が話そうとしていたことは、委員会をすっぽかしてしまいたいほど気になるが……生憎と僕の体は僕自身のものでは無くなってしまっている。
僕は高校に上がってから初めて、僕を動かし続けている糸を心の底から憎んだ。
「え? あっ、ごめんなさい私ったら!」
結衣は慌てた様子で謝罪を告げる。
違う。そうじゃなくて……引き止めてくれ。
僕の動きを止めてくれ。
「……行ってらっしゃい」
結衣の言葉を合図にしたかのように、僕の糸は委員会の仕事が待つ教室へと、僕を走らせた。
ぎゅん、と、まるで逃げるように僕は走った。
走ってしまった。
そのとき見せた結衣の寂しそうな、気落ちしたのを隠すかのように笑う顔は、僕の頭に染み付いてしまって、委員会の間も、下校の間も離れなかった――。
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