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特賞の賞品
疲れた。このツアーは宿泊付きなんだろうか。終点はどこなんだろう。
「あの……」
「斉城様」
訊ねようとしたら、ちょうどガイドさんがやって来て、スッとタブレットを差し出した。
「『特賞』の賞品でございます。次の目的地まで、お楽しみくださいませ」
「えっ……あ、あの」
「お休みの方もいらっしゃいますので、イヤホンをお使いくださいね」
にっこり。質問の余地を許さないアルカイックスマイル。言葉を飲み込んで、タブレットを受け取る。静まり返った車内。あと何人残っているのだろう。一定の音程を保つタイヤの音は、高速道路を走行中らしい。青紫のフィルムの外は、日が落ちたのか闇に沈んでいる。不安に染まった自分の顔を避けたくて、窓にカーテンを引いた。
特賞のタブレット――ガイドさんは、これを見ろと言っているようだ。怖い。本能的に警告のシグナルを感じるが、私の知りたい答えがある気がしてならない。思い切って、イヤホンを耳に捻じ込むと電源ボタンを押した。
【斉城史那、27歳】
画面中央に、私の名前の付いたフォルダが1つだけある。微かに震える指先で、タップした。
『京都には行けなくても、千葉には行けるのね?』
テーブルの上に叩きつけたのは、リトルマーメイドの金のチャーム。
『仕方ないだろう。娘の誕生日だったんだ。パンダの子どもを見たいって強請られたけど、上野の抽選には外れちゃったからさぁ』
ネクタイを緩めながらソファに座る男の姿。あの人だ。
『奥様とは別れるって言ったわよね? お嬢さんは、あちらで引き取るんでしょう?』
ヒステリックな私の声。予約した未来が反古にされそうな苛立ちと不安で、心が揺れる。ああ……それ程までに、私はこの男が好きなんだ。
『落ち着けよ、史那。こういうことには、順番があるんだって』
腕を伸ばして私の腰を掴むと、ソファの上で抱き締める。
『京都旅行のことも、悪かったと思っているよ。ちゃんと別の機会を作るから……な?』
悪びれない笑顔。聞き飽きた宥め文句。こんなやり取りは、初めてじゃない。
『嘘。私のことなんて、いつも後回しじゃない』
あの人――鷹林雅之は、職場の上司。新入社員の頃、失敗続きで落ち込んでいた私を、励まし、慰め……愛してくれた。
『拗ねるなよ。君だけが俺の安らぎなんだ。分かってるだろ?』
唇が甘くなぞられる。整髪剤が微かに香る後頭部を抱くと、更に深く重なって吐息が溢れる。
『ん……雅之さん、私のものになってくれるわよね?』
『ああ。もう少し待ってくれ』
「もう少し」を繰り返して、もう3年。彼は、離婚の二文字で私を絆し続け、その言葉を信じて、私は不実な関係にしがみついてきた。
なのに。
『史那、聞いた? 鷹林課長、移動するんだって』
『――――えっ』
それは、青天の霹靂。
『大阪支社で部長に昇進だって。課長の奥様って、ほら、専務の姪御さんでしょ。今度の移動にも関わっているらしいよ』
先輩が人事部から仕入れた情報だから、間違いはない。給湯室で湯呑みを洗いながら、震える膝を隠すのに精一杯だった。
私はなにも知らない振りをして、週末の逢瀬に応じた。私の部屋で彼がバスルームに入っている間に、彼のスマホを手に取った。現実を直視したくなくて、これまでは決して触れなかったパンドラの蓋を開ける。
画像フォルダの中に、ネズミの耳を付けた女の子の横で照れ臭そうに笑う彼がいた。それから、お城やアトラクションを背景に、仲睦まじく収まる親子3人の姿。父親の、夫の顔をした彼が何枚も続いた。
しがらみで結婚してしまった。妻に愛情なんてひと欠片もない。家でも気の休まる時がないんだ。
彼の口からは、ずっと、そんな愚痴ばかり聞かされてきたのに。
リトルマーメイドのチャームが本物の金ではないように、愛した男の上辺が剥がれ、本性が覗いた気がした。
頭の芯が冷えていく。胸の奥が真っ黒な感情に埋もれていく。
私は、自分のスマホに父娘ツーショットの画像を送信した。次に住所録を漁り、娘――絢萌ちゃんが通う小学校の名前を見つけ出し、自分のスマホに登録した。
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