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イツァエの家では家族揃ってのパーティーが行われていた。両親もイツァエが生贄に選ばれたことが嬉しいようで、嬉し涙で目を泣き腫らしていた。
イツァエも嬉しく感じているのか満面の笑みを両親に向けている。
イツァエの家へと駆け込んだテオは事の次第をイツァエに尋ねる。
「イツァエ! 君、生贄に選ばれたって本当かい?」
「そうだよ」
それを言うイツァエは実にあっけらかんとしたものだった。
「イツァエ、分かっているのかい? 君、死んじゃうんだよ?」
「うん、分かってるよ。死ぬってことは名誉なことなんだよ?」
このユカタンでは自分から死ぬ「自死」が誉とされている。自殺、生贄で死ぬことも自死として扱われ、お産での死亡や戦死でさえも「子のための死」「国のための死」と拡大解釈され自死として扱われる。自死の死者を楽園へと導く「自死の女神」への信仰がユカタンの民に浸透しており、死の恐怖を緩和・喪失させているのであった。テオもこれまでの調査で分かってはいたのだが、実際に目の当たりにして困惑するばかりであった。
テオはクリスチャンである。キリスト教において自殺(自死)は大罪。自殺を誉とする「自死の女神」への信仰はとてもではないが受け入れ難いものであった。
「わたしは裸で母の肚を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の神名は褒め称えられよ。 ヨブ記一章二十一節」
つまり、人の生殺与奪は全て天の神が握っていると言うことになり、自分から死を選ぶことは天の神の権威を汚すことになるために自殺は許されない。と、言う旨をテオはイツァエに説明をした。だが、それはキリスト教圏内でしか通じない御題目。全く違った信仰を持つユカタン半島の民には通じない話であった。
「テオの国の神様と、このユカタンの神様とは違うんだ。ぼくにはテオが何を言っているのかがわからないよ」
テオはこの時代の人間にしては珍しく穏健派で、冒険先で出会った人々にキリスト教への帰依を勧めるようなことはしなかった。信仰の否定を勧めれば、揉め事になることが多く、最悪の場合は戦争になることを分かっていたのである。テオはアプローチを変えることにした。
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