Solar Eclipse

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 翌日、テオは族長(オサ)の家へと訪れた。イツァエに変わり自ら生贄になることを志願しにいったのである。テオは自分の命を捨ててでもイツァエを守りたいぐらいに心惹かれていたのだった。 「余所者でありながら、我がユカタンのために生贄を志願するとは素晴らしい。でも駄目なのです、あなたは神に選ばれていない」 「あのピッツとか言うスポーツですか!? あれで何がわかると言うのですか!?」 「壁の輪をご覧になったでしょう。あれは太陽を模したもの」 「伺っております。太陽神が生贄を探していると」 「太陽神を食らうものがおる。それは我らが創造主にして天の蛇なり」 「天の蛇……」 「天の蛇が太陽神を丸呑みにすれば天から光は消え、永久(とこしえ)の夜が訪れる、永久の夜が訪れれば日の光も当たらずにトウモロコシも育たなくなり、夜目の利く(けだもの)達が人里へと下り人々を喰らい尽くすであろう。この世の終わりじゃあ!」 「成程、太陽神を模した輪をボールが通り抜ける様、それが太陽を喰らい尽くす天の蛇に見えることから、ピッツにおいて輪の通り抜けを成した者(今回はイツァエ)を天の蛇と模し、生贄に捧げ、天の蛇の怒りを鎮めようと言う訳ですか」 「そう言うことじゃ、天の蛇は月の無い夜を五度迎える度に機嫌を損ねて怒ると言う、五度目の月のない夜を迎えた昼間になると太陽神を食らいに訪れてくるのだ。しかしだ、生贄を捧げれば半日もせずに天の蛇は我々に太陽神をお戻しくださる」 皆既日食は太陽と月と地球の順番に一直線に並んだ瞬間に発生する。天文学に優れたユカタンの民達はそのことを理解した上で星が動くことは神の御業であると考えていた。 彼らからすれば皆既日食は神が起こす奇跡、いや、災いと見る者が多かっただろう。なぜなら、皆既日食が起こり真昼に夜が訪れようならば、人々は神の喪失を疑うからである。暗黒に包まれた昼間の中、月に身を隠された太陽に手を合わせ、膝を折り、拝みながら今一度の神の来訪を願ったに違いない。 皆既日食による神(太陽)の喪失を心から恐れるもの。人と言うものは愚かなもので、己自身の中に神を創り上げてしまう。己自身の中に創り上げた神は勝手に心の中で独り歩きをし、神が皆既日食を起こすのは「人に対しての怒り」と述べてしまい、それを収めるための方法までをも述べてしまうのであった。 それは「生贄」であり、それを「おめでたく、喜ばしい」と人々に思い込ませ、成り立たせることである。そこに「神」の意志は介在しない。あるのは人が己自身の中に創り上げた「神」の意志である。
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