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見てごらん朝だよ。
君は抱えていた膝に顔を埋めてうたけれど、ゆっくりとした動作で頭をもたげる。いずれここから出て行かなければならなくて、それが今日だ。ようやくその日が来た。
障子戸の向こうは明るくて、白い光が部屋の中から君を誘い出そうとするようだ。光を受けた畳の目がつややかに光る。真新しくて、寝そべれば井草の香りで肺が満ちるだろう。
君は一度瞬きをした。閉め切った障子の輝く様を凝視している。もう一度瞬きすると、今度は目尻にうっすら涙が滲んだ。心が動いたのならいい。目が乾いただけかもしれないけれど。
戸を開けてごらん。君のその二本の脚は、地面の上で立つことも歩くことも走ることも、跳ぶことだってできる。君の二本の腕は、これから様々なものに触れ、愛し、ときには拒絶し、時間とともに多くを抱えていくだろう。君の口は無数にある言葉のいくらかを紡ぎ出していけるだろうし、目は景色に浴し、頬は風やシーツだけでなく君の愛する人の触れる場所ともなるだろう。その鼻で今、蝋梅の香りを突き止めただろうか。耳は鳥の囀りがあると知っただろうか。きっと世界は美しい。
さあ、
❊
赤ん坊の泣き声に、ベッドを囲む大人たちの顔が安堵に変わる。
「おめでとう」
たくさんのおめでとうが君に降り注ぐ。
それは桜木が散ることで季節を寿ぐように。雪が銀世界を知らしめるために降り注ぐように。君の存在を確かなものにするために降り注ぐ言葉だ。
生まれてすぐのことを、君はきっと忘れてしまうだろう。
忘れてしまっても、君はまた違うだれかに降らせるためのおめでとうだけは、身体の中にもうきちんと仕舞っている。
さあ世界だ。
これが君の、新しく生まれた君の、初めての朝だ。
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