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「健太、お義母さん」  病室の前でお母さんが泣いていた。  お父さんはこちらに向かっているが、まだ着いてないそうだ。  妹の真由の病室では、お医者さんと看護師さんが、小さなベッドを囲んで忙しく動き回っている。  僕は入口から病室の中を覗き込んだ。  黒く濁った肌をした僕の妹。  心臓が悪く、生まれてから一度も病院を出たことがない。  同じ年に生まれた志保ちゃんちの和之くんは、もう立ってよちよちと志保ちゃんの後を追ってくるというのに、真由はベッドから降りたことすらない。 「次に発作が起きたら、覚悟をしておいてください」  お医者さんにそう言われた日、お母さんは僕を抱きしめて泣いた。  それまで一度も涙なんか見せたことのないお母さんなのに。  僕は真由の身体が突っ張って震えるのを見た。  お医者さんが緊張した表情で指示を出し、看護師さんがなにか大きな四角い機械を運んで来た。  身体中を管で繋がれ、小さな顔にはすっぽりとマスクを掛けられてしまった。  あれではもう、クラゲが薬になったって飲ませてやることもできない。 「助けてやりたかっただけなんだ」  僕は肩の上にいるクラゲにだけ聞こえる声で呟いた。 「妹を元気にしてやりたかった。一緒におばあちゃんのお団子を食べたり、テレビを見たり、犬の散歩に行ったり…。だって妹が出来たら思いっきり可愛がってあげようと思ってたんだ」  涙が盛り上がって視界が歪んだ。 「クラゲ、妹をたすけてよ」  ぷかぷか暢気そうに相変わらず空中を漂っているクラゲが、無性に憎たらしく思えて、僕は力任せにクラゲをつかんだ。  クラゲの身体は柔らかく、僕の手のなかでぐにゃりと歪んだ。 「お願いだよ」  涙がポタリとクラゲの上に落ちた。  次の瞬間、クラゲの傘がいきなりぶわわっと全開になった。  傘の下に折りたたまれていた数え切れない数の細い触手がそれぞれ熱を帯びて発光し、僕は驚いて思わず手を離してしまった。  クラゲは壁と天井と床をスーパーボールのような速さで跳ね回り、それと同時にどんどん膨らんで最後にはドッチボール大の光の球になった。 「な、なんなの?」  お母さんもおばあちゃんも病室のお医者さん達も、一同あっけにとられて口を開けたまま、いまや光速で飛び回るクラゲの暴走ぶりを見詰めている。  クラゲはついに真由の病室へ飛び込んだ。  寝ている真由の真上でその動きを止めた。  まばゆい光が真由の病みつかれ、丸みのない身体を照らしている。  クラゲはふわんふわんと降りてきて、真由の凹んだ胸の上に着地した。  ぶわわっ  クラゲはまた傘を開いた。放射する熱と光が病室を一瞬、無音にした。  僕は歯を食いしばって目を開けた。  光の中でクラゲはバシュッと音を立てて脱皮した。  ザリガニや爬虫類のようなのんびりとした皮の脱ぎ方ではなく、ロケットの射出のような速さと勢いで。  そしてそのままクラゲは、いやクラゲだったモノは、窓をすり抜けて空の彼方まで飛んで行ってしまったのだ。  脱皮後の姿を僕は一瞬だけ見た。  メタリックな多面体。  かつてクラゲだった表皮を脱ぎ捨てて、クラゲはなにか見慣れないペカペカとした甲殻を持ったモノに変体していた。  それが、閉めきった窓ガラスを通過して光の速さで空に吸い込まれて行ったのだ。  それきり、クラゲは戻ってこなかった。  真由の胸には白いクラゲの残骸がぺたりと崩れて残っているだけだった。
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