番外編 不器用なアイラブユー

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番外編 不器用なアイラブユー

 16年ぶりに東中の職員室の扉を開けると、知らない年配の男性教師が中にいた。 「こんにちは」  翼が先生に声をかけると、年配の男性教師は「あぁ」と言って席から立ち上がると一通り注意事項を話した。 「帰る時はまた教えて下さい」 「分かりました」  年配教師に一礼して職員室の扉を閉める。  中学生の頃は、先生に呼び出される度に何度も出入りしていた職員室も今は知らない場所のように感じる。もうあそこに入ってもあの頃と同じように美鈴と2人で授業をサボって怒られることもなければ話を聞いていなかったことを注意されることもない。そう思うと、同じ場所にいるはずなのに少し寂しく感じた。  誰もいない廊下には、外で騒いでいる運動部の生徒達の声が響いていた。「面倒くさい」という理由で翼は、中学も高校も部活に入部したことは一度もない帰宅部だった。だけど、放課後の居残り勉強でよく耳にしていた運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の練習の音はやっぱり懐かしかった。  そんな懐かしい校舎の中を歩きながら頭の中で何度もこの後のことをシュミレーションをした。  今日、人生で2度目のプロポーズをする。  香奈と死別して以来、会社の先輩や友達に何度か縁談を持ちかけられたり同世代の女と話してみないかと誘われて会ってみたこともあった。だけど、生前香奈が「一生自分の伴侶でいて欲しい」と願っていたこともあり翼が彼女達とそれ以上の関係になることはなかった。  それが自分の大切な人の幸せならそれでいいと思っていた。自分の残りの人生を香奈に捧げてもいいとすら本気で思っていた。  だから、15年ぶりに再開した中学の頃1番仲が良かった同級生の美鈴に告白された時も迷わず彼女を振った。  美鈴のことは中学生の頃は好きだった。彼女は翼の好きな美人な顔立ちをしている訳ではない。童顔で性格も子供っぽくて勉強嫌いでスポーツもあまり得意ではない。でも、誰とでも仲良くなることができる明るい性格。  そんな彼女に惹かれた1番の理由は「居心地の良さ」だった。  そう考えると、どこの誰だか知らない女と付き合って再婚するくらいなら自分に好意を寄せてくれていて自分も昔好きだった美鈴と付き合った方が良いことは人に聞かなくても分かっていた。それに一度離れた時に無理矢理忘れようとした彼女のことをまだ好きでいた自分もいたのは確かだった。  でも、自分の気持ちに正直になればなるほど香奈のことが頭をよぎりなかなか一歩を踏み出せずにいた。だから、再会したばかりの頃はなるべく連絡も取らないようにしていた。  そんな翼が再婚を視野に入れるようになったのは、12月に入ってすぐの頃だった。きっかけは、食器を洗っている時にテレビを見ていた一人息子の湊に言われた一言だった。 「とーちゃんってあのおばちゃんと付き合ってんの?」  その言葉を聞いた瞬間、一瞬思考が停止して洗っていた皿を思わず手から離してしまった。プラスチックで出来ていた皿は音だけを立ててシンクの上に落ちて翼はこれがプラスチックで良かった、と思う。 「ねぇ何か答えてよ」  そう大声で言う湊の方を振り向くと、テレビでは今話題の「子持ち再婚」をテーマにしたドラマが放送されていた。それを見てそれまで美鈴のことをあまりしつこく聞いてこなかった湊がなぜそんなことを聞いてきたのか何となく察した。 「俺は、美鈴と付き合ってないしこれからもその予定はない」  香奈のことがあるから、とは言わなかった。きっと、そんなことを話してもまだ小学生の湊が理解する訳がない。 「でも、あのおばちゃんとーちゃんのこと好きそうだったぜ?」 「そんな訳ねぇだろ」  本当は多分そんな訳ある。美鈴のあの告白は本物だったと思う。  でも、香奈のことを考えるとやっぱりそう簡単に話が進まなかった。仮にもし自分の伴侶が中学生の頃好きだった女と再婚したと香奈が知ったら彼女はどう思うのだろう。この時はそう考え自分の気持ちを抑えていた。それが正解だと思っていた。
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