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画面に表示された『野上翼』という文字に「またか…」と心の中で呟く。また先生と話してるから遅くなるとかそういった内容の連絡なのだろうか。
美鈴は、応答と書かれたアイコンをタッチしてスマホを耳にあてた。
「もしもし、美鈴?」
スマホから聞こえてきた翼の声はすごく近かった。同じ敷地内にいるのは確かだから近くにいる可能性だってあるのにやっぱり好きな人の声には何歳になってもドキッとしてしまう自分がいた。
「…私だけど、いつまで待たせるつもり?翼の用事が長すぎてぐっちと通話したり校舎探索したりしてたんだけど…」
ときめいているわりには口から出てくる言葉は、いつも本音とは正反対の言葉。本当は、中学生の頃はなかなかできなかった通話だって嬉しいくせにそれを素直に伝える勇気もなければそれを伝える言葉も思いつかない不器用な自分にイライラする。
「ごめん、長いこと待たせたのは謝るよ」
彼にしては、珍しく素直に謝ってきたことに美鈴は半分驚く。普段なら絶対こんなふうに謝ってきたりはしない。むしろ、逆ギレしてくる。
そんな彼に不信感を抱きながら美鈴はスマホをぎゅっと握りしめた。
「で、今度は何?まだ先生との話が続いてるの?」
「それはもう終わった。たださ」
「ただ?」
「なかなか決心がつかなくてずっと悩んでた」
「決心?何のこと?」
そう言って体育館の方に歩き出した。
さっきから言っていることがよく分からなかった。嘘は下手なくせに自分の考えていることをその時がくるまで翼が絶対話さないのはいつものことだ。だけど、やっぱりもどかしい気持ちになる。恋人同士なのに隠し事が多すぎる。
「美鈴、後ろ向いて」
「え?」
いつもより優しい声のトーンで話すの翼の声に美鈴は思わず振り向いた。
後ろに立っていたのは、さっきと何1つ変わっていない翼だった。だが、その表情はどこか固くて緊張している表情だった。
そんな彼の表情に釣られてごくりと生唾を飲む。真面目な話があることだけは言われなくてもピリッとした空気で分かった。
「長いこと待たせてごめん」
「別いいよ」
“何か話があるんでしょ?”とは言わなかった。この真面目な空気からなんとなく嫌な予感がした。
「上手く言えないかもしれないけど、俺の話聞いてくれる?」
「うん」
口ではそう言って頷いておきながら何やってんだ、と思う。これが良い話なら良いけど、別れ話の可能性だって充分あり得るのに。
「デートの時、いつも安い店ばっかで美鈴それめっちゃ怒ってたじゃん」
「別に怒ってなんかないよ。でも、香奈さんには高級チョコ買ったりしてたからちょっと焼いてたけど」
それに美鈴だって翔太と少し高い店に仕事帰りにディナーに行ったことがある。ご飯に誘ってくれた友達がたまたま仲が良い男友達だっただけだけど自分だって似たようなことをしているのは確かだった。
「それは本当ごめん。美鈴には安い店しか連れて行ってやってないのに他の女には金かけてるって最低だよな、俺」
「そんなことないよ。香奈さんは特別だよ。その…離婚しちゃったけど翼の奥さんだし」
香奈さんは特別。自分でそんな言葉を発しておきながらもその言葉は美鈴の心にグサリと突き刺さる。
香奈さんを超える存在に自分がなれる訳ない。それは分かっていた。
「香奈のことはもう考えなくていいよ」
「なんで?」
そう聞き返したのと同時に翼が緊張した面持ちのまま黙って近づいてきた。
そして、目の前で立ち止まった彼がポケットから取り出したスカイブルーの小さな箱を見た瞬間、涙が溢れてきた。
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