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夜はバーへ仕事に行った。
酷く重い足取りだったが、ただ見ているだけしかできない自分が嫌になって、それを忘れるかのように仕事に打ち込んだ。
ただ、バックヤードに入ってふと気持ちを緩めた時に考えてしまう。
今、仕事をしている自分は、純粋に仕事が大事でここにいるわけではない。
母との約束を守るために仕事をしているわけでもない。
ではなぜ仕事をし続けているのか。
それは、苦しむ母を見ることも、自分が何もできないことも、弘臣と夏海が一緒にいるのを見ることも、全部嫌でここにいるのだ。
全てから逃げるために……。
大切に思っているはずの仕事を逃げ場にしている。
そう思うと自分のことがどんどん嫌になり、息の詰まるような感覚がして座り込む。
「堀田、さっき言ってたブルーキュラソーの話――……おい、堀田? 大丈夫か?」
バックヤードに入ってきた皆川が、座り込む文乃に気付いてそばに近づく。
「おい、これって……過呼吸の発作だろう? 兄ちゃんに連絡して――」
「ダメ……ッ……」
「ダメって……だけどな――」
「平気……です……。すぐ……治る」
皆川は頭を抱えると、文乃に告げる。
「わかった。とりあえず……『ゆっくり呼吸しろ』って兄ちゃんが言ってたよな。できるか?」
「……はい……すみませ……っ……」
「慌てなくていい」
皆川はただそばにいてくれた。
皆川に弱いところを見せたくないという気持ちが、文乃の気持ちを強く保つ。
少し呼吸が落ち着いた頃、皆川が文乃に告げる。
「お前な……だから無理するなって言っただろう。患者の家族っていうのもキツいもんなんだよ」
母の手術前後は仕事を休めと皆川に言われていた。
でもここで仕事をしていないと、情けないことに逃げ場すら失われる。
仕事まで休んだら、自分をどう保ったらいいのかわからない。
「いても、どうせ……何もできない」
そして、弱くて何もできない自分に唯一できるもう一つのこと。
それは――
「私は……しっかり……しなくちゃいけない……んです……」
自分まで弘臣に迷惑をかけるわけにはいかない。
自分のことくらいは自分で何とかしたい。
俯いて呼吸を整えながらそんなことを考えていると、皆川がフフッと笑う声が耳に入った。
「ほんっとに、堀田は意地っ張りで隙を見せるのが嫌いだな……。めんどくせー」
「放っといて……ください」
「かわいくねーな」
「別に、皆川さんに……思われなくても……いい」
「かわいく思われたいのは兄ちゃんだけ、だもんな」
「……セクハラ」
「おぉ、そうだそうだ、その調子だ。堀田はそうでないとな」
皆川流の励ましだったのだろう。
ちょっとイライラしつつも、少しだけ心が軽くなって、呼吸も楽になった。
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