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術後8日目、ようやく母の容態は落ち着き始めた。
まだ痛みはあるようだが、徐々に会話ができるようになった。
僅かに目の動きに異常があるものの、じきに治るだろうと弘臣に言われて一安心だ。
それから2日後、一般病棟に移った母とようやくゆっくり話すことが叶った。
「お母さん……頑張ったね」
「文乃、ありがとう」
「うん」
「先生ったら、私のこと特別室に入れようとしたのよ。独りじゃ退屈だから個室は嫌ですって言わなかったら、きっと立派な部屋にポツンとしてるところだったわ」
弘臣ならやりそうなことで、そしてそれが社交的な母にはちっとも向いていないということもよくわかって、文乃はクスクス笑う。
「文乃、ちゃんと先生に会ってる?」
自分の体が辛くても、娘を心配してそう尋ねる母は母らしい。
そういう母らしさが見えたことが文乃は嬉しかった。
「うん。大丈夫だから」
だがそれは嘘だった。
弘臣が母の病室を訪れる時以外、手術の前からずっと会っていない。
手術前は母のことで文乃の気持ちに余裕がなく、夏海から言われたことも気になって、弘臣が病室に来ても顔を真っ直ぐ見ることができなかった。
手術後は、文乃がいっぱいいっぱいだったこともあるが、病室に来た弘臣が厳しい顔つきを見せるばかりで文乃に目を合わせず、どこか避けているような素振りでほとんど話をすることもなかった。
恐らく文乃がそばにいない間、弘臣のそばにはずっと夏海がいた。
そう思うと胸がズキッと痛んだ。
元は長く付き合っていた二人だ。
まして同じ医師同士。
わかり合える二人が復縁することなど間々あり得る話だと思える。
母のことで余裕のない間は考えることができなかったが、落ち着いてくると急に心に重苦しさが押し寄せる。
『どうしてもっと早く教えてくれなかったの?』
母の病気を知って動揺していたとはいえ、医師としての立場がある弘臣を責めてしまった。
弘臣自身、罪悪感が湧くと言っていたくらいだ。
言えなかった弘臣にも、きっと苦しみはあったに違いないのに……。
『治るって、どうして言ってくれないの?』
そんな確証もないことを医師の弘臣が言えるわけがない。
不安から発した自分の言葉に今更大きな後悔を抱く。
怖くて、自分が楽になりたくて、弘臣を追い詰めてしまった。
情けない自分がとことん嫌になる。
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