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「おとうさん」
「どうした、ゆかり」
「“ありがとう”の“あり”は“あり”だけど、“おめでとう”の“おめ”ってなに?」
これは……どうする。
娘から出題された答えのない問い。誰だ……こんな言葉遊びを教えたのは。
それはともかく、私は真正面から受け止めるべきなのか、それとも上手い具合に逃げ切るべきなのか。お父さんとしての力が試されている。
「“ありがとう”の“あり”は虫さんの“ありさん”。そうだね?」
「うん!」
「じゃあ、“ありがとう”の“とう”って、どういう意味かな?」
「10さい!」
「そうだねー、ゆかりは4歳だけどねー」
なるほど、“とう”が“十(とお)”であることは分かっているんだね。
「じゃあ、“ありがとう”の“が”ってどういう――」
――いや、待て、十にも満たないこどもが、“が”と“で”の違いを説明して納得できるのか!? できるかもしれない。「おはし“で”上手に食べれてえらいねえ」「一人“で”お着換えできてすごい!」とか普段からいっているじゃないか。
ならいけるはずだ。「“ありがとう”は“が”、だけど、“おめでとう”は“で”、だろう?」
いや待て待て、こういう言い方をしてしまったら、結局“おめ”と“とう”を“で”で切り分けてしまっているから、「で、“で”ってなに? おとうさん?」となってしまうじゃあないか。
ここは、お父さんらしく、一言で己が心に従って言いきってしまおうじゃないか。
「“おめでとう”は、“おめでとう”なんだよ、ゆかり」
「……うえーんっ!」
「というのは冗談だよ、ゆかり」
確かに私は正直に“おめでとう”は“おめでとう”であるという一つの真実を真正面から娘に伝えた……伝えたつもりになっていた。しかし、ゆかりからすれば、「自分の問いをお父さんはちゃんと受け止めてくれない! 反抗期待ったなしだうえーん」となってもしかたないじゃあないか。
――どうすればいいんだっ!
「あなたー、ゆかりー、ごはんよー!」
妻の声だ。
「はーい」
ゆかりが元気にかけていく。よし、これで自らの問いを忘れてくれる。
しかし、三人でテーブルを囲むと嫌な予感がした。
“鯛”が……“たい”が私を虚ろな目で見上げている。
「お母さん、これなんておさかなさん?」
娘はまだ“たい”を知らなかった。
「これはねえ、“たい”っていうお魚さんだよ」
娘が“たい”を知ってしまった。
「ところで、おいしいねえこのおせち! お母さんが全部作ったのかい?」
私の言葉だ。
おせちは全て私が注文した。それなのにわざわざ妻に「君が作ったのかい」と本来ならば敢えて聞く必要のないことを聞いてしまった。これがいけなかった。
――おせちも自分で用意できない妻だとおっしゃりたいのかしら
そんな風に考えているようにも取れる不敵な笑みで妻が私を見た。
――ちがうちがうっ!
私は必死に首を振り、「決して君に対して嫌味を言ったつもりなどないんだ愛してる」と目で伝えたのだが……。
「ゆかり~、“おめでたい”って知ってる~?」
伝わらなかった。
「“おめでたい”? “おめでとう”のともだち?」
違う、近いけど違う。この場合“ありがとう”の方がある意味近いかもしれない。いや、そんなことはどうでもいいんだ。
「そうよー」
違うよ! お母さん!
二人が私を見る。
「おとうさん、“おめでとう”の“おめ”ってなに?」
「お父さん、“おめでたい”の”おめ“ってなあに?」
おめでとう(娘)とおめでたい(妻)に挟まれて、なすすべがなくなった。そんな私が彼女たちに伝えられる言葉はこれくらい。
「二人と一緒にご飯が食べられて、お父さん……幸せだなあ」
もちろん、こんな回答を一回しただけで許されるはずもなく……この日以降も、お正月気分が抜けきるまでは“おめでとう”と“おめでたい”が私を問い詰めるのだった。誰か、来年のお正月までに、私に答えを教えてほしい。
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