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それでは、と、今度は真言の九字を切ろうとした。
「臨・兵・闘・者……」
唱えるのと同時に、ハンドルから片手をはなして縦横に切ろうとする。ハンドル操作が危うくて、すぐに手をもどした。そしたら、次の文句が出てこなくなった。
度忘れというやつだ。
(なんだったかな? 「者」の次……)
頭のなかをさぐろうとする。前を見る注意力がそがれる。
ちょうどそのとき、風がひときわ強くなった。
「うわっ」
思わず声が出た。
舞いあがる雪の量がさらに増えた。ひどいものだ。本当にもう、車のまわりをまっ白のカーテンでおおわれたのと変わらない。まったく視界がきかない。
おれは急ブレーキを踏んで、車を停止させた。
ぶおおおおおおおおぉぉ……。
風のうなる音が巨人の咆哮のように響く。激しい横風に、停止している車がゆさぶられる。背後には、悪寒をもよおす悪霊。まるで地獄の一番地で孤立したような心細さだった。このまま車内で凍死するのではないか、とさえ思った。
「くそっ」
声に出して毒づく。
なんとかしなければ。
追いつめられたおれは、急にひらめいた。
「おい、悪霊」
おれは背後を見ないようにして、後部座席に呼びかけた。「おれの二歳になる娘をやる。愛美という名前だ。愛美にとりつけ。おれの娘を差しだすから、頼むから、おれからはなれていってくれ」
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